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【国宝】全国でもわずか!『国宝の神社』一覧全リスト!

『国宝の神社』は全国にいくつある?国宝指定されている神社建築の全リスト一覧!

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全国に数ある神社ですが、そのうち「国宝」に指定されているのはごくわずか!実は30数件しかありません。

 

筆者紹介

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こちらは【旅行コラム】からの記事をお届けしていま

 

 

国宝建築とは?


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日本に残る貴重な文化財。これらは文化財保護法に基づいて「重要文化財」に指定され、特別な保護を受けています。

 

そんな重要文化財の中でもごく一部、超貴重な選りすぐりの文化財だけが「国宝」に指定されています。これらはまさに国の宝!

 

そんな国宝ですが…内訳は建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料と、多岐に渡っています。

 

国宝総数 1,132件

建造物 230件(294棟)

美術工芸品 902件

絵画 166件

彫刻 140件

工芸品 254件

書跡・典籍 229件

古文書 62件

考古資料 48件

歴史資料 3件

※2023年1月現在

 

ご覧のように、国宝に指定されている総数のうち、建造物(建物)は230件(294棟)に過ぎません。国宝全体のおよそ2割くらいですね。

 

この国宝建造物には、城郭や寺院、神社などが含まれるのですが…意外と「国宝建造物を持つ神社」って多くないんです。

 

果たして全国に「国宝建築の神社」はいくつあるんでしょうか?

 

国宝指定されている神社建築はいくつ?

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日本全国に230件指定されている「国宝建造物」。その中で「神社」として指定されているものを数えてみました。

 

結果は…全国でわずか36ヶ所!日本全国津々浦々にある神社のうち、わずか36ヶ所しかないというから…超レア!このうち、いくつかの神社は国宝建築物を複数抱えており、その総数は43件とされています。

 

さて、この36ヶ所しかない『国宝の神社』。どんな神社がリストに入っていると思いますか?

 

んー?やっぱり「伊勢神宮」とか?あ!あと「出雲大社」とか!初詣客日本一の「明治神宮」とかも入る?

 

実は…日本最高神・天照皇大神をお祀りする「伊勢神宮」は国宝ではありません。

 

え!そうなの!?

 

そうなんです。伊勢神宮に代表される伊勢の神社は、20年に一度社殿を新たに作り替える「式年遷宮」を行っています。

 

伊勢神宮などで行われている「式年遷宮」は、20年ごとに古い社殿を壊して、そっくりそのままの社殿を新しく建て直します。そのため「国宝」とすべき建造物がそもそも残らないというワケなんです。

 

ちなみに、もうひとつの日本の代表的な神社である「出雲大社」は式年遷宮が行われないため、古い社殿がそのまま残されており、こちらは国宝に指定されています。

 

国宝指定建造物のある神社一覧(全36ヶ所/43件)

それでは?国宝に指定されている神社、36ヶ所の神社一覧をみていきましょう!

 

1 大崎八幡宮 宮城県仙台市

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大崎八幡神社伊達政宗によって造営され、慶長12年頃完成した。この建築は豊国廟の建築を模したと伝えられ、隨所に見事な彫刻、彩色をほどこした権現造社殿で、仙台地方に移入された桃山建築の優秀な遺構である。

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2 日光東照宮 栃木県日光市

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東照宮徳川家康の霊廟で、元和3年(1613)に久能山から日光に改葬され、社殿も新設された。現社殿は徳川家光が全面的につくりかえたもので、寛永13年(1636)に完成した。本殿・石の間・拝殿からなる権現造形式で、陽明門なども含め、彫刻・漆塗り・彩色・飾金具等の装飾と建築が一体化し、江戸初期の造形と意匠が集大成されている。

本殿拝殿、陽明門、唐門、東西回廊、東西透塀と計5件が国宝指定を受けています。

 

 

3 輪王寺大猷院 栃木県日光市

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大猷院霊廟は德川三代將軍家光の廟であって、慶安四年遺命により造営された。
本殿、相の間、拝殿はこの霊廟の建築中最も力をつくした部分で、全体にわたり漆を塗りこれに金箔をおし、或いは極彩色をほどこし莊麗であって東照宮とともに江戸時代初期を代表する建築である。

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※日光輪王寺の境内にありますが東照宮と同じく神社建築に含まれています。

 


4 歓喜院聖天堂 埼玉県熊谷市

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歓喜院高野山真言宗に属し、治承3年(1179)の創建と伝わる。現在の聖天堂は、享保5年(1720)に歓喜院院主海算(かいさん)が再建を発願、民衆の寄進を募り、地元の大工林兵庫正清(まさきよ)によって建設されたものである。
奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の形式で、延享元年(1744)に奥殿と中殿の一部が完成し、宝暦10年(1760)までに中殿と拝殿が完成した。とくに奥殿は多彩な彫刻技法が駆使され、さらに色漆塗や金箔押などによる極彩色を施してきらびやかに飾る。また、拝殿正面を開放として参詣の便をはかるなど庶民信仰の隆盛を物語る建物である。

歓喜院という寺院の境内にありますが、聖天という神を祀る神社建築に含まれています。

 


5 仁科神明宮 長野県大町市

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神明宮の創祀は、古く仁科御厨鎮護のために天照大神を勧請したのに始まり、社殿は古来二十年ごとの式年造替の制が守られてきた。現在の社殿は寛永十三年(1636)松本藩主松平直政が式年造替に際して造営したものと伝わるが、延宝四年(1676)の造営文書に全柱の取替材が含まれており、修理とは特定し難く、この頃の造営と見るべきかもしれない。

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6 久能山東照宮 静岡県静岡市

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久能山東照宮は、徳川家康を祀る霊廟として創建され、元和3年(1617)に建立された本殿、石の間、拝殿は、いわゆる権現造の形式をもつ複合社殿で、中井大和守正清によって造営された。
社殿は、伝統様式である和様を基調とし、複雑な構成になる立面や軒廻りなどを巧みにまとめており、細部も整った意匠をもっている。また、要所に彫刻や錺金具などを用いて荘厳化をはかり、江戸幕府草創期における質の高い建築技術や工芸技術を伝えている。

 


7 日吉大社 滋賀県大津市

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日吉大社の創立は古く大山咋神を祀ったところに始まるといわれるが、のち天智天皇の時代に大和大神神社から大物主神を移したと伝えられる。それ故、本来は前者が根本祭神であるが、のちには後者が大宮として重んぜられ、前者は二の宮と称された。
また明治以降には祭神が交換されたこともあったが、今は旧に復されて前者を東本宮、後者を西本宮としている。社殿は創立以来たびたび焼失と造替とを繰り返した。現在の社殿は西本宮本殿が天正十四年(1586)、東本宮本殿が文禄四年(1595)の造立である。

西本宮、東本宮の2件が国宝指定を受けています。

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8 御上神社 滋賀県野洲市

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御上神社は『延喜式』に式内社神大社、月次に新嘗の官幣社として記載がある古社で、野洲川の流域、三上山の西麓に鎮座する。
本殿は様式手法上より鎌倉時代の建立と推定される。方三間屋根入母屋造で隅にのみ舟肘木をつけた比較的單純なものであるが、神社建築のうちでは古い遺構の一つで入母屋造であるのも比較的類例の少ない点文化史的意義が深い。

 


9 大笹原神社 滋賀県野洲市

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応永二十一年(1414)の建立である。小規模な神社本殿であるが、細部手法が特に優秀で、欄間や戸などの意匠も美しい。中世の神社建築としてもっとも傑作の一である。

 


10 園城寺新羅善神堂 滋賀県大津市

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貞観二年(860)の勧請と伝え、園城寺の鎮守の一つである。現在の建物は暦応三年(1340)足利尊氏の造営と伝えるが、貞和三年(1347)の文書に堂塔工程を記したものがあり、そのうちに新羅社も含まれているから、実際には、その頃造営があったのであろう。

園城寺境内にありますが、神社建築に含まれています。

 


11 苗村神社 滋賀県竜王町

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苗村神社は式内社であり、現在社域は東西に分れおのおのに本殿があり、東西本殿のほか境内社八幡社本殿、楼門も重要文化財であって、中世の遺構がそろっている。西本殿の建立年代については、社蔵の棟札に、建保五年(1217)に建立されたこと、徳治三年(1308)二月四日造立始、三月十九日棟上の記があるものがあり、本殿の様式手法も鎌倉時代後期を示しているから、この時再建されたものと考えられる。

 


12 都久夫須麻神社 滋賀県長浜市

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現在の本殿は永禄十年再建されたものに、慶長七年豊臣秀賴が伏見城の建物を寄進して組合せたものである。方三間の身舍部分が伏見城の遺構で漆塗、金蒔絵、彫刻、極彩色に鍍金金具を以って装飾し極めて豪華富麗であり且つ手法の優秀なこと桃山時代の代表的建築と云える。

 


13 賀茂別雷(上賀茂)神社 京都府京都市

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賀茂別雷神社上賀茂神社といわれ、賀茂御祖神社下鴨神社)とともに、その創立は奈良時代以前に遡る。平安遷都以後は王城鎮護の神として崇敬をあつめていた。社殿は、天武天皇の時(673~)山背国をして造替せしめたというのを始めとし、以後たびたびの造営があり、ことに平安時代末期より室町時代中期までは、ほぼ二十数年を式年として造替が行われたことが記録にみえる。室町時代後半になるとこの制が衰えたが、江戸時代に入ってからは再び式年造替が復活した。現在の本殿、権殿は文久三年(1863)の造替になるものである。

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14 賀茂御姐神社 京都府京都市

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通称下鴨神社で、上賀茂神社と同様な社歴をもっている。白鳳六年(678)の造営以後たびたび造替修理の記録がみられ、長元九年(1036)に21年毎の式年造替が定められたという。以後この制はよく守られてきたが、室町時代に至って一時その制が衰え、さらに江戸時代寛永年間以後復活した。現在の両本殿は上賀茂神社と同じく文久三年(1863)に造替されたものである。
上賀茂神社とまったく同じ形式からなり、流造の典型的なものとして、上賀茂神社と並ぶ高い価値をもつものである。なお当社には、本殿を含めて重要文化財に指定されている建物が33棟ある。

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15 北野天満宮 京都府京都市

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北野天満宮の今の建物は慶長十二年(1606)豊臣秀賴が造営したもので、拝殿と本殿を石の間で連絡した権現造になる。拝殿の東西に楽の間を、本殿の西に脇殿を附属している。内部石の間の構架は雄大な手法をあらわし屋根も変化に富んでいて、所謂八棟造の形式になる。近世初期神社建築の代表的な遺構である。

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16 豊国神社 京都府京都市

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豊国廟は、慶長四年(1599)豊臣秀吉の遺命によって、秀吉を祀るために創建されたが、その後元和元年(1615)徳川氏により破壊され、まったく荒廃した。現在の豊国神社の社殿は明治初年方広寺跡に再建されたものである。
唐門は伏見城の遺構と伝え、最初二条城にあったのを金地院に移し、さらに明治時代の再建の際に現地に移したという。前後が唐破風、側面が入母屋の四脚門で、雄大豪放な蟇股及び彫刻を用い、よく桃山時代の気風を表している。

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17 醍醐寺清滝宮拝殿※ 京都府京都市

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醍醐寺は山上、山下の二伽藍に分かれているので、その鎮守である清滝宮も山の上下にある。上醍醐の清滝宮は寛治三年(1089)の勧請といわれ、拝殿ははじめ三間三面の規模であったが、応永十七年(1410)正月二十七日焼失したので、永享十一年(1439)に本殿が再建され、その五年前の永享六年(1434)に拝殿の立柱が行われた。これが現存の拝殿である。
桁行七間、梁間三間の大規模な拝殿であって、急な崖に依っているため、正面の床下を長くして、いわゆる懸造とし、特徴のある姿を示している。

醍醐寺境内にありますが、神社建築に含まれています。

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18 宇治上神社 京都府宇治市

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宇治川を挟んだ平等院の対岸にある。創始は明らかでないが、平等院鳳凰堂の完成後、宇治に来訪する貴族の信仰も厚かった。本殿は外観が特異であるが、規模の違う一間社流造の内殿三棟を覆屋で囲んだ形式で、内殿は全国に普及した流造の典型。建立年代は細部の手法から12世紀前期と推定され、神社建築として最古の遺構である。

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19 八坂神社 京都府京都市

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八坂神社は,京都市街の中心部,四条通の東端に位置する。疫病退散を祈願する祇園信仰の総本社で,現在の本殿は四代将軍徳川家綱により,承応3年(1654)の建立である。入母屋造で,両側面と背面に庇をつけた独特の外観をもつ。身舎は奥側の内々陣と前側の内陣に区画し,それぞれ正面に3間通しの棚を設けて他に例を見ない。身舎の四周には外陣がまわり,正面に礼堂が取り付いて,ここまでが入母屋造,檜皮葺の大屋根に収まる。さらに庇をつけて規模を拡張するのは,平安時代の建築の方法で,側面の庇は小部屋に分かれている。この本殿の形式は,鎌倉時代には成立していたことが明らかである。

 


20 石清水八幡宮 京都府八幡市

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石清水八幡宮は,桂川宇治川,木津川の三川の合流点にある男山に所在し、貞観2年(860)の創建以来,公家や武家をはじめとして,広く崇敬を集めた。創建後はたびたび社殿を焼失等したものの,その都度復興し,近世初頭には,天正8年(1580)の織田信長による社殿修復に続き,慶長3年(1598)から豊臣秀頼(とよとみひでより)による境内再興が行われた。現在の本社社殿群は,寛永11年(1634)に江戸幕府により造替されたものである。
本殿は,桁行12間の内殿と外殿を前後に並べて複合させた,壮大な規模をもつ八幡造本殿で内の同形式の本殿の中では現存最古で最大規模である。

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21 住吉大社 大阪府大阪市

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住吉大社本殿は四棟すべて海に向かって西面し、西から第三殿、第二殿、第一殿の順に縦に並び、第三殿の南に第四殿が建つ。住吉大社本殿の式年遷宮は17世紀始めに再興され、今の本殿は文化7年(1810)の造替時のものである。
本殿は切妻造、妻入で、柱はすべて丸柱で礎石上に立ち、正面および前後二室の中間に大きな板扉を開き、他は板壁である。前後二室からなる独特の平面をもち、この形式を住吉造といい、四棟すべて同形式同規模でつくられる。 

 


22 桜井神社 大阪府堺市

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桜井神社は創立、沿革ともあまり明らかでない。拝殿建立の年代もまた不明であるが、様式上からは鎌倉時代後期のものと推定されている。桁行五間で、円柱の上に舟肘木をおいて桁をうける。中央一間を土間の通路とした割拝殿の形式を持っているが、これは近年改造されたもので、元来は五間とも床を張っていた。正面の中央間を除くほかの四間は、桟唐戸を入れている。側面は三間に分つが、装飾としては梁間一杯に大虹梁をかけ、蟇股二個をおき、その上に虹梁をかけ、さらに蟇股をおいて棟木をうけている。つまり二重虹梁蟇股式の架構法である。内部においても、妻と同様な架構を現している。
二重虹梁蟇股は奈良時代以来用いられた形式で、この拝殿はこの古式に則っているのであるが、各部には鎌倉時代の様式を示している。数少ない拝殿遺構のひとつとして貴重なものである。

 


23 春日大社 奈良県奈良市

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春日大社の本殿形式は「春日造」とよばれ、日本の神社建築の形式として広く分布している。この建築は文久三年(1863)のものであるが、式年造替によってよく古い形が守られている。春日造の代表例として指定された。

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24 石上神宮 奈良県天理市

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石上神宮崇神天皇の鎮守と伝えている。拝殿の創立は明らかでなく、現拝殿は様式上鎌倉時代前期頃の特徴がみられる。ただし向拝は江戸時代のもので、古くからあったものの修補か、新たに付加したものか、明らかでない。拝殿はもと大字内山の永久寺(現在廃寺)の鎮守住吉神社の拝殿であったもので、大正三年現地に移建された。住吉神社は保延三年(1137)の創立といわれ、拝殿については、正安二年(1300)に現状の規模に改めたという記録がある。

本殿および出雲建雄神社拝殿がそれぞれ国宝指定を受けています。

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25 宇太水分神社 奈良県宇陀市

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社伝では崇神天皇代の創立と伝わる式内社だが、歴史はあまり明瞭でない。本殿は向かって右より第一殿、第二殿、第三殿の三殿からなる。第一殿は棟木に「元応弐季(1320)申庚弐月弐参日上棟」とあって、年代がはっきりしている。第三殿もこれと同時とみてよかろう。

 


26 圓成寺春日堂/白山堂 奈良県奈良市

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圓成寺の鎮守で、本堂の東に二社併立している。一間社春日造の規模の小さいものであるが、かつて覆屋内にあったためか、各部はよく保存されている。建立年代は不明であるが、その組物、蟇股、高欄などの手法は、様式上鎌倉時代前期に属するもののように思われる。神社建築は古い遺構に乏しいのであるが、その中にあって、この堂は春日造最古の遺構であり、意義が深い。

※圓成寺境内にありますが、神社建築に含まれています。

 


27 三仏寺奥院 鳥取県三朝町

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投入堂はもと三仏寺鎮守の蔵王殿と称されたものである。建立年代は明らかでないが、平安時代の様式をもっている。その後の沿革は永和元年(1375)修理を行ったことが知られるだけで、ほかは明らかでない。
堂は山腹の岩窟内に崖にかかって建てられた小規模な建築で、床下はきわめて長い柱で支えられ、いわゆる懸造をなしている。全体に木割が細く、柱、桁、梁、垂木などには大きく面をとり、垂木の勾配は緩く、流造の母屋の両側に庇屋根をつけるなどの変化に富んだ構造も、よく平安時代の特徴を表している。この堂は山陰地方において最も古く、かつ平安時代の優れた意匠と、奇抜な構成をもつ類稀な遺構である。

三仏寺境内にありますが、神社建築に含まれています。

 


28 神魂神社 島根県松江市

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神魂神社のある大庭という土地は、古く出雲国造の住んだところであった。この神社の本殿は天正11年(1583)の再建であって、出雲国島根県東半部)にのみ分布する大社造のなかの最古の遺構である。出雲大社本殿によく似ているが、梁行に対して桁行がやや長く、また規模に比して柱が太く、大社造の古い形式を伝えるものと考えられる。

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29 出雲大社 島根県出雲市

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日本書紀』や『古事記』に起源説話をもつ古社である。伊勢神宮のような式年造替制が明確でないが、数多くの造営が行われ、現本殿は延享元年(1744)に建てられたもので、正方形平面・切妻造・妻入の大社造である。規模の大きさ、高い床、太い部材など現本殿も相当に雄大であるが、史料や伝承によれば、古代にはさらに高大であった。

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30 吉備津神社 岡山県岡山市

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吉備津神社は,古代以来の吉備地方の鎮護として名高い。現在の社殿は足利義満の命により応永32年(1425)に再建された。本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部に向かって次第に床と天井を高めている。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる特異な外観を見せる。本殿前には妻入りの拝殿が接続し,本殿と同様に大仏様の手法を示す。独特な社殿形式の由来は明かでないが中世を代表する大型の神社建築として価値が高い。

 


31 厳島神社 広島県廿日市市

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古来より神聖視された宮島にあり、海上鎮護の神として崇敬された。現在は仁治2年(1241)再建の社殿が基本であるが、平清盛の厚い庇護を受けて整えられた平安末期の構成を踏襲している。北の入り江に建ち、南奥の本社本殿と東の客社本殿は両流造形式で、拝殿や祓殿などの諸建築を回廊で連続した景観は、寝殿造の大邸宅を思わせる。

 


32 住吉神社 山口県下関市

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住吉神社神功皇后が創祀したと伝え、のち長門国一の宮と称された。本殿は応安三年(1370)大内弘世の造営になる。九間社流造の長い建築であるが、これは一間社の神殿を横に五箇つなぎ、その間を相の間で連絡した形である。神殿正面を板扉とするのに対して、相の間は引違板戸となっており、神殿と相の間には、長押、組物、蟇股の扱い方にも差がつけてある。前面の向拝は九間を一連のものとして、蟇股を飾る。また屋根には神殿上に五ケ所の千鳥破風をつけ、全体として特異な流造を形成している。

 


33 神谷神社 香川県坂出市

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神谷神社は弘仁三年(812)空海の叔父阿刀大足の勧請または再興と伝えているが、詳しいことは分からない。しかし延喜式にも記されている古社である。本殿は化粧棟木下端の墨書により、建保七年(1219)の建立になることが明らかであり、以後天文九年(1540)、永禄十一年(1568)、万治三年(1660)、宝暦九年(1759)に修理のあったことが棟札によって知られる。
三間社流造で、身舎は円柱、舟肘木、妻飾扠首組で正面中央間を板扉とするほか、左側側面にも扉構をつけて出入口にしている。向拝は方柱、三斗組で、すべて面取りとなっている。現存三間社流造としては最古の例であり、材料の保存もよい。

 


34 青井阿蘇神社 熊本県人吉市

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青井阿蘇神社は、中世以降、領主相良氏の崇敬を受けた。現在の社殿は慶長15年(1610)より同18年に建てられ、境内の奥に本殿から拝殿が連続して建ち、前方に楼門が建つ。社殿は黒漆塗を基本とし、本殿と幣殿は、随所に優れた彫刻や錺金具などが配される。また楼門は本格的な禅宗様式である。
青井阿蘇神社の社殿は、中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取しており、完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。

 


35 宇佐神宮 大分県宇佐市

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本殿は南面して第一殿より第三殿に至る三社殿が東西に並び、今の本殿は三社殿とも安政二年より文久元年に亘り造営されたものである。その形は切妻造の建物を前後に二つ並べて中央の谷に大きな樋を設けている。この形式は古い形式を残すもので、いわゆる八幡造の典型的なものとして貴重である。

 


36 霧島神宮 鹿児島県霧島市

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霧島山の中腹に鎮座する。天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅を受けて高千穂峰(たかちほのみね)に天降ったとする瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を主祭神とし、現在の社殿は正徳5年(1715)に島津吉貴(しまづよしたか)によって復興されたものである。境内は、勅使殿から登廊下を介し、拝殿、幣殿を経て、最も高い位置に本殿を構える。とくに拝殿から本殿へは、急勾配の階段で段差をつけて高低差を表現する躍動感あふれた構成をもつ。規模の大きな本殿をはじめ、いずれの建物も質がよく、要所を丸彫彫刻や絵画で装飾し、極彩色、漆塗、朱塗で仕上げる豪華な仕様であり、近世に発達した建築装飾意匠の集大成の一つである。

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以上が、国宝建造物を持つ神社の一覧36ヶ所全リストです。一部、寺院の敷地内に建てられているものも含んでいますが、これは、文化庁が指定したオフィシャルな分類ですので悪しからず!

kunishitei.bunka.go.jp

 

ざっと眺めてみると…神社という性質上どうしても畿内(京都奈良)が目立ちますね。また滋賀県もかなり多くの国宝神社を有しているのが分かります。

 

また反対に、関東東北と四国九州の少なさも目立ちます。北海道沖縄がゼロなのも仕方ありませんね。

 

また、明治時代以前の仏教寺院と神社神道がごちゃまぜになっている「神仏習合」の影響を受けていたであろう場所もいくつか国宝に指定されているのも特徴ですね。

 

当時は、寺院の仏さまと神社の神様は同一と考えられていましたから…現代ほど寺院と神社の境目はくっきりと分かれてはいませんでした。

 

いかがでしたか?実は意外とレア!全国に36ヶ所しかない『国宝の神社』の一覧全リスト!

 

皆さんはいくつ参拝されましたか?全て回っている方って…意外と多くないかもしれませんね。