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大坂の陣の火元「国家安康の鐘」は現存!『豊国神社』と『方広寺』は歴史の現場!【紅葉の京都ひとり旅】⑰

こんにちは!旅人サイファです。

長らく連載していた【紅葉の京都ひとり旅】も四日目になりました。この日のお昼過ぎの新幹線で京都を後にします。

 

最終日の朝に訪れたのは…こちら!豊臣秀吉公を祀る神社『豊国神社』です。
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清水五条のお宿からは、歩いてやってきました。南におよそ7.8分ほど。朝の散歩にはちょうど良い距離ですね。


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豊国神社に向けて道を歩いていると…左側に巨石連なる石垣が見えて来ます。


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近寄ってみると…いやはや!あまりにも巨大!名古屋城大阪城クラスの巨石が使われているのが分かります。そう!ここにはかつて、豊臣秀吉がその威信を賭けて建造した「方広寺大仏殿」があった場所!この石垣は京都で最も巨大な石垣ですので、マニアの方はお見逃しなく!


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現在の方広寺はかなり規模が縮小されています。それもそのはず、かつてこの地に聳え建っていた大仏殿は、秀吉の晩年に起きた慶長大地震によって倒壊しているのです。


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その「方広寺」の一画に…歴史を動かした鐘があります。それがこちら。「国家安康・君臣豊楽の鐘」!豊臣家を滅亡に追いやった呪わしき鐘です。その本物が!現在までそのままの姿で残されているんです!


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国家安康の銘鐘

 

豊臣秀吉の死後、その遺児・豊臣秀頼地震で倒壊し荒廃していた方広寺大仏殿を再建します。この時、新たに鋳られたのがこの鐘です。

慶長19年7月、再建された大仏の開眼供養の日を待つ方広寺に、突如延期命令が出されます。

その理由が「梵鐘に彫られた文に不吉な文字あり」との理不尽なクレーム。

徳川幕府中枢にいた僧侶、以心崇伝らに指摘されたのは、鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の八文字。「国家安康」は、「家康」の名である家と康を切る呪いの言葉、「君臣豊楽」は豊臣を君として栄えるという謀反の言葉という無茶苦茶な言いがかりでした。

この些細な言いがかりをきっかけに、徳川軍と豊臣軍の最終決戦「大坂の陣」は勃発します。そして、圧倒的な戦力を誇る徳川軍によって、大坂城に籠る豊臣軍は壊滅し豊臣秀頼は自害。豊臣家は滅亡するのです…。


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ご覧のとおり「国家安康」「君臣豊楽」の八文字もくっきり遺されています!この鐘が破却もされずにこの地に遺されていること自体が、徳川による言いがかりの何よりの証拠と言えるでしょう。


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方広寺」の敷地内には、現在『豊国神社』が建てられています。秀吉公を「豊国大明神」号して神として祀っている神社です。

 

いかがですか!この見事な唐門!この唐門は国宝に指定されているとても貴重なものです。

 

が。

 

この唐門…あまり知られていませんが、実は曰く付きの門なんです。

唐門(国宝) - 元は南禅寺塔頭金地院にあったもので、豊国神社再建にあたって金地院から移築された。そもそもは以心崇伝が寛永4年(1627年)に江戸幕府から二条城の唐門を譲り受けたもので、その前は伏見城にあったとも伝える。なお、金地院はこの唐門を当社に移築した後、その跡地に大徳寺にあった明智光秀が寄進した明智門を入手し、移設している。

 

…ちょっと待て?

 

実はこの唐門は、かつて「国家安康の鐘」に難癖を付けて豊臣家を滅亡に追いやった怪僧「以心崇伝」が住職を務めていた「金地院」の門が移築されたものなんです!豊臣神社の持つ唯一の国宝が崇伝の寺から移築された門だとは!?なんたる皮肉!


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唐門から本殿を望みます。秀吉公は死後、東山の阿弥陀ヶ峰山頂に葬られました。そしてその麓に当たるこの地は秀吉公の廟所としてお堂が建てられてました。現在もこの本殿の背後真っ直ぐのところに、秀吉公の遺骸を納めた墓所(阿弥陀ヶ峰)が存在しています。

 

大坂の陣において豊臣家が滅亡した後、この『豊国神社』はそのまま捨て置かれました。しかし明治になってから、この状況を惜しんだ明治天皇の命によって再建され、現在の姿になっています。

 

境内にある宝物館では、秀吉公の遺品をはじめ、たくさんの宝物が納められています。そちらは有料ですが、ぜひ立ち寄ってみてください。秀吉公直筆の書状なども遺されていますし、有名な名刀「骨喰吉光」もここにあります。


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さて、『豊国神社』の参拝を終えて、正面に伸びる参道を進むと…左手に公園と塚が見えてきます。ここは「耳塚公園」。なんとも恐ろしい響きの公園ですが、それもそのはず。ここは、秀吉公による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)のおり、首級代わりに集められた敵兵の耳を集め供養した塚です。


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秀吉公晩年の愚行とも言われる朝鮮出兵。その府の名残も…この地にひっそりと遺されています。

 

豊国神社 国家安康の鐘

アクセス

京阪電車 七条駅より徒歩8分

京都市バス 三十三間堂下車徒歩5分

 

参拝時間

24時間参拝自由

宝物館は9:00-16:30

 

定休日

年中無休

 

参拝料金

参拝無料

宝物館 大人300円 大学高校生200円 中学生・小学生100円

 

駐車場

参拝者無料駐車場あり

 

アドレス

京都府京都市東山区大和大路通正面茶屋町530

075-561-3802

 

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