吉祥寺の本家本元はココ!東京駒込『諏訪山 吉祥寺』はシダレザクラの名所!
東京本駒込、シダレザクラが有名な『諏訪山 吉祥寺』をご紹介します。
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こちらの記事は【春の都内さんぽ】から記事をお届けしております。
吉祥寺駅には吉祥寺というお寺が無い!?
東京吉祥寺…都内でも「住みたい町」ランキングで常に上位に名を連ねる若者に人気の町です。
都内には「吉祥寺」と同じように「お寺の名前」を駅名として採用している町がたくさんあります。
これらは、全てその駅の近くには同じ名前の寺院が存在しています。高円寺駅近くには「高円寺」というお寺がありますし、祐天寺駅近くには「祐天寺」というお寺があるのです。
同じようにもちろん、吉祥寺駅近くには「吉祥寺」というお寺がある…はずですよね?
実は「吉祥寺駅」周辺には「吉祥寺」という寺院は存在しないのです!これ、都民でも知らない人が多い事実!
では、「吉祥寺」という寺院がどこにあるか…?というと、それが東京都文京区本駒込にある『諏訪山 吉祥寺』!この寺院こそが「吉祥寺」の町名の本家本元なんです!
『諏訪山 吉祥寺』の歴史
そもそも「吉祥寺」は、現在は皇居になっている江戸城の西側に、室町時代に作られた寺院です。寺名は、この付近から「吉祥」と刻まれた金印が発掘されたという逸話が伝わっています。
この初代「吉祥寺」は、戦国時代に徳川家康が江戸へ移ってきたのを機に移転。現在の水道橋駅近くの本郷の地に二代目「吉祥寺」として新たな本堂を建てます。
しかし…1657年に、悲劇が襲います。世界三大大火のひとつとも言われる、江戸の町を焼きつくした「明暦の大火」によって、本郷にあった「吉祥寺」とその門前町も類焼してしまうのです。
これを受けて江戸幕府は江戸の町を改変。「吉祥寺」は現在の地・本駒込へと移転され、三代目「吉祥寺」が建てられます。
しかし、問題は吉祥寺門前町に住んでいた住民たちでした。
本駒込の吉祥寺周辺には彼らが住めるような土地はありません。苦肉の策として…門前町の住民たちに与えられたのが、多摩郡郊外の五日市街道沿いの土地でした。
この地に移り住んだ住民たちは、かつて暮らした町の中核であった寺院名を拝借。この村を「吉祥寺村」と名付けました。これこそが、現在まで続く「吉祥寺」の町の由来!現在のように「吉祥寺(駅)には吉祥寺(寺)がない」という不可思議な現象が起きてしまった…というワケなんです。
『諏訪山 吉祥寺』の見どころ
現在、本駒込にある『諏訪山 吉祥寺』はシダレザクラが美しい「花の寺」として有名です。本郷通沿いには、大きな山門がありますが、この門は江戸時代から残る貴重なもの!空襲でも焼けなかった門です。
この山門をくぐると、参道は見事なシダレザクラの並木になっています。
ここ『諏訪山 吉祥寺』のシダレザクラは、目の前の高さにまで枝が降りてきていますので、可愛らしいお花を間近に楽しむことができます。
江戸時代には、ここ『諏訪山 吉祥寺』の境内には曹洞宗の学寮「旃檀林」(せんだんりん)が置かれ、幕府の公式学問所「昌平黌」と並んで漢学の一大拠点として多くの学生たちで賑わったといいます。なおこの「旃檀林」は後の駒沢大学に当たります。
この寺は、江戸でも屈指の歴史を持つ由緒ある寺院のため、多くの大名/旗本の菩提寺でもありました。特に越後新発田藩主・溝口氏の一族代々の墓所や幕末に名を馳せた「榎本武揚」もこちらに埋葬されています。
『諏訪山 吉祥寺』へのアクセス/駐車場
『諏訪山 吉祥寺』へは、東京メトロ南北線の本駒込駅からすぐのところにあります。東大へ向かう本郷通りを南へ向かうと、左手に大きな山門が見えてきます。
お車の場合は、境内に参拝者用の無料駐車場がありますのでご利用ください。都内の寺院で無料の駐車場があるところは珍しいですね。
さて本日より数回に渡って、4月に訪れた都内の名所をいくつかお届けします。東京タワーやお台場といった、誰もが訪れる観光スポット以外にも、実は都内は見どころたくさん!【春の都内さんぽ】次回もお楽しみに!
『諏訪山吉祥寺』の基本情報
アクセス
JR山手線ほか 駒込駅より15分
営業時間
24時間自由
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
参拝者用無料駐車場あり
アドレス
東京都文京区本駒込3-19-17
03-3823-2010