旅人サイファのお出かけブログ

R3.5.15 ブログランキングサイト国内旅行ジャンル第1位獲得!旅行プランナー旅人サイファが送る『旅行に行きたくなるブログ』です!ぜひお立ち寄りください♪

スクロールして項目をお選びください!

【熊本県第2の都市はどこ?】~都道府県No.2物語~

熊本県の第2都市はどこ!?
 

全国には47の都道府県が置かれています。その47の都道府県内には、行政の中枢として機能する県庁所在地が置かれていますよね。

 

そのうち、ほとんどの県では、県内で人口最多の都市に県庁が置かれています。

 

そんな県庁所在地や最大都市(人口最多都市)は比較的有名ですが、それらに次ぐ第2の都市は?と問われると戸惑う方も多いのではないでしょうか?そう!その県の「第2の都市」って意外と知られていないのです。

 

そんな、都道府県内の第2の都市に焦点をあてた連載がこの【都道府県No.2物語】!人口ランキングデータを基に、今回は『熊本県』の第2都市を探っていきます!


f:id:traveler-cipher:20230321215533j:image

こんにちは!全国各地を旅行して、その土地土地のことを考察している旅人サイファです。毎週月曜日は毎回ひとつの県を取り上げた~都道府県No.2物語~をお送りしています。

 

 

熊本県第2の都市はここ!

熊本県最大の都市は、県都熊本市」です。九州三例目の政令指定都市として、全国的にも屈指の大都市です。

 

そんな熊本県で、熊本市に次ぐ第2都市は、県南部の中心都市『八代市』です。

 

熊本県の歴史

熊本県は、律令国制で「旧肥後国」一国から成り立っています。元々は、北の「旧肥前(佐賀、長崎)」と合一の「肥の国」で、この語源は「火の国」にあります。阿蘇山をはじめとした火山の国ですよね。

 

県域は、熊本阿蘇を含む「県北地域」、人吉を中心とする「球磨地域」、天草諸島からなる「天草地域」の三つの地域に大別されます。

 

中世には、県域内各地に武士・土豪が割拠する状況になりますが、他国のように一国を統べ大名化する存在は遂に生まれませんでした。

 

戦国時代になっても、菊池地方の菊池氏、阿蘇地方の阿蘇氏、隈本地方の隈部氏、球磨地方の相良氏など、小土豪が割拠したまま。やがて豊臣秀吉による九州征伐を受けるまで、情勢は大きく変わりませんでした。

 

秀吉の九州征伐のあと、肥後国一国を与えられたのは佐々成政でしたが、土豪ひしめく肥後国をまとめることができず一揆の頻発を招き失脚。その後釜に自らの子飼いであった加藤清正小西行長に北半国、南半国を与えて分割します。

 

この加藤清正の肥後入りで、熊本は大きく変わりました。隈本と言っていた地名も「熊本」と変えたのも清正です。その後、関ヶ原の戦いを経て南部の小西領も加えた加藤清正は、名実ともに肥後の国主として君臨しました。加藤氏が謀反の疑いで2代で改易されると、後には細川氏が入ります。この細川氏明治維新まで続きます。元内閣総理大臣細川護熙氏はこの細川氏の直径の子孫ですね。

 

明治維新後の廃藩置県では、熊本周辺に熊本県(→改名して白川県)、八代周辺に八代県、人吉周辺に人吉県が作られます。また、天草は長崎県に吸収されますが、明治9年にこれらが合併し、現在とほぼ同じ県域を持つ「熊本県」が誕生し、今に至ります。

 

熊本県の県庁所在地

熊本県の県庁は「熊本市」に置かれています。熊本県最大の市で、人口は73万人を超える大都市です。九州全土でも第3位、全国でも第20位の人口を有しています。

 

現在の熊本市の繁栄は、戦国時代に「加藤清正」が熊本城を築城したことに始まります。それまで、肥後国の中心地は内陸よりの菊池周辺にありましたが、清正がこの地に目をつけ、自らの居城として城と城下町を整備しました。

 

加藤清正は、洪水の多かった土地に大規模な土木工事を実施し、熊本を肥沃な大地へと生まれ変わらせました。余所者に厳しい肥後人も、清正に対する尊敬は著しく、現在も「清正公(せいしょこ)さん」と呼び親しまれています。

 

明治維新後は、熊本は九州の首都と位置付けられ、熊本鎮台(軍拠点)の設置、第五高等学校(全国わずかしかないナンバースクール)の開校など、国の機関の進出が目立ちました。しかし、昭和以後は福岡市の政令指定都市化を境にして徐々にその役割は福岡へ移行しています。

 

現在は、肥後を代表する都市として発展し、平成2012年には政令指定都市にもなっています。

 

熊本県第2都市候補

八代市

県南部の中心都市が「八代市」です。豊かな平野を有する農村都市かつ、近代的な港を有する工業都市としての側面も持っています。一時は肥後国最大の人口を有していたこともあったようです。八代には、藩主の父・細川忠興の隠居城として八代城が築かれましたが、これは一国一城令下では極めて異例の措置でした。

 

玉名市

県北部の中心都市がここ「玉名市」です。2005年に「旧玉名市」を中核とし、周辺町村と対等合併したことで、新たな「玉名市」として生まれ変わりました。2011年には新幹線駅も開業しています。

 

天草市

2006年に、天草下島本渡市牛深市が中心となって合併し生まれたのがここ「天草市」です。実は天草下島は、日本で6番目の面積を持つ全国レベルの巨大な島でもあります。平成の大合併で天草地方最大の市として誕生しました。

 

熊本県内人口ランキング推移

 

1980年~2010年までの、熊本県内の人口ランキング推移がこちらです。

 

やはり「熊本市」は期間中断トツですね。2位以下を突き放して圧倒しています。2位は唯一の10万人超えの「八代市」!こう見ると熊本No.2の座は安泰なように見えますね!

 

2000年までは、3位荒尾市、4位玉名市、5位(旧)本渡市と、顔ぶれに変わりませんでしたが…平成の大合併を受けて2010年にランキングが大きく動いています。3位は天草地方の大部分を合併した「天草市」が躍進!4位「玉名市」に変化はありませんが、かつて3位に君臨していた「荒尾市」がランキング外へ落ちるとともに、「宇城市」が浮上しています。

 

最新!熊本県第2都市はここ!

それでは!2021年10月の人口ランキングから最新の熊本県内人口データを見てみましょう! 

 

第1位 熊本市 73.8万人(全国20位)

第2位 八代市 12.1万人(同223位)

第3位 天草市 7.4万人(同375位)

第4位 玉名市 6.3万人(同423位)

第5位 合志市 6.2万人(同432位)

 

最新のランキングでも、2位は「八代市」、3位「天草市」で変化ありませんね。

 

八代市」は、県内最大級の平野と不知火海に面した豊かな漁場を有する都市です。熊本市鹿児島市を結ぶ中間点として新幹線停車駅も作られています。

 

と、言うことで…【熊本県第2の都市は…八代市】でした!