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【京都】『北野天満宮』全国の天神様の総本社で初詣レポート!

北野天満宮』は全国1.2万社の天満宮/天神社の総本社!

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京都『北野天満宮』は学問の神様の総本社!初詣の様子をレポートします。

筆者紹介

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こちらは【年末年始京都旅行記】連載からの記事をお届けしています。

 

北野天満宮』の歴史

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北野天満宮』は全国12000社にのぼる「天満宮」「天神神社」の総本社です。

 

御祭神は菅原道真公、通称「菅公」で、学問を司る神として知られています。

 

ですが、面白いことに北野天満宮の公式ホームページには、学問だけでなく様々なご利益のある、神様と紹介されています。


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  • 農耕の神
  • 正直・至誠の神
  • 冤罪を晴らす神
  • 学問の神
  • 渡唐天神
  • 芸能の神
  • 和歌・連歌の神
  • 武芸の神

これだけでも、非常に多彩で能力の高い人物であったことが窺えますよね。

 

こちら『北野天満宮』が創建されたのは天曆元(947)年のことです。1000年以上昔からここに鎮座し続けているんですね。

 

怨霊・菅原道真とは?

平安時代中期、宇多天皇の時代に、菅原道真は、颯爽と歴史の舞台に登場します。宇多天皇の側近として気に入られた道真は、みるみるうちに昇進を重ね、当時藤原一族らによって独占されていた朝廷の中枢の一角を占めるに至ります。

 

この時、宮中内のトップは左大臣藤原時平。No.2が右大臣・菅原道真でした。道真の生まれた菅原家は、元々学問を専らにする低級公家に過ぎません。家格の低い菅原家の人間ががあれよあれよという間に、出世する姿は、あらぬ噂と人々の嫉妬を招いたことでしょう。

 

宇多天皇皇位を退き、その息子である醍醐天皇が即位に付いたころ、宮中には悪い噂がまことしやかに囁かれるようになります。

 

いわく、道真が「宇多上皇を欺き惑わせた」だとか「醍醐天皇を廃そうと画策している」だとか。

 

醍醐天皇は、これらの噂を真に受け、道真の右大臣の職を解き、九州大宰府の長官・大宰員外帥という閑職を与え九州への左遷が決まるのです。しかも、道真のみならず、その息子たちもみな流刑にされるという徹底ぶり!これは、藤原時平による讒言とも言われています。

 

道真は、この後、九州大宰府へ赴任。やがて失意のうちに当地で世を去ります。後に怨霊となることもあって勘違いされている方も多いですが、彼は死刑になった訳でも騙し討ちで殺された訳でもありません。ただ、職務は名ばかり、衣食住にも苦しむような生活を強いられたとも言われており、緩慢な死罪と言っても良い死でした。

 

しかし…彼の死後、京都では不可思議な事件が連発します。

 

道真の死の直後から立て続けに起きた関係者の不審死。未だ科学が確立していない時代では、ただの偶然にしてもその恐怖はかなりのものだったと思います。

 

こうして…道真公の死後20年目に、朝廷は道真の左遷を撤回し官位を復し、正二位の位階を贈ることを決めます。ここに、道真公は復権を果たすのです。

 

ここ北野の地に天満宮が建てられたのは天曆元(947)年のこと。右京七条に住む多治見文子という少女に託宣があり、ここ北野の地へ社殿が造営され、やがてそれが、現在へと続く『北野天満宮』と名付けられるのです。

 

北野天満宮』の初詣レポート

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北野天満宮』は京都でも人気の初詣スポットです。データによれば、京都市内の初詣参拝客数トップは「伏見稲荷大社」の100万人超。それに次ぐのが祇園「八坂神社」と、ここ『北野天満宮』です。例年、およそ50万人ほどの参拝客が訪れるといいます。

 

筆者が訪れたのは元日の午後でした。この頃になると人出もやや落ち着いており、境内が広いこともあって、ギュウギュウ詰めの行列になることはありませんでした。


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今回我々は堀川通方面から歩いたのですが、『北野天満宮』へ向かう道すがらには、京都に残る5つの花街のひとつ「上七軒」があります。


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同じ花町である祇園先斗町に比べると落ち着いた町並みです。最盛期には、お茶屋50軒、芸舞妓60名ほど有する大きな花町でしたが、現在はかなり数を縮小しているようです。しかし、石畳風の通りと格子戸の建物が並ぶ様はとても良い雰囲気ですので、ぜひ一度歩いてみてはいかがでしょうか。


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上七軒」を抜けるとすぐに『北野天満宮』が見えて来ます。元日とはいえそこまで混雑し過ぎることもなく、参道も問題なく歩ける程度でした。正面に見える立派な楼門は存在感ありますよね!


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国宝である本殿でお参りをします。ここはさすがに人が多いですね。授与所でおみくじやお守りを求める列も長く伸びていましたが、参拝列はそれほどでもなく、10分待たずに参拝することができました。


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北野天満宮』の本殿は、かの豊臣秀頼によって再建されています。桃山様式の豪華な装飾が見事です。屋根は檜皮葺でかなりの厚さです。中央で優雅なカーブを描く破風がまた格式の高さを物語っています。

 

こちらでも、きちんと二礼二拍手一礼で新年のご挨拶をさせていただきました。


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なお、本殿の裏手には『北野天満宮』の原形とも言える小さなお社が置かれています。それがこの「文子天満宮」!『北野天満宮』の歴史で登場した多治見文子の託宣によって始めに道真公を祀ったのがここと言われています。

 

北野天満宮』へのアクセス/駐車場

北野天満宮』へは、バスでのアクセスが便利です。京都市バスでは、多くの路線が目の前の今出川通を行き来します。それぞれの路線で「北野天満宮前」で下車すれば、目の前に大鳥居が見えるので、すぐに分かります。

 

嵐山方面や四条大宮からでしたら、電車でのアクセスも有効です。京福電鉄北野線が伸びていますので、終点の北野白梅町駅で降りて北へ歩くこと10分弱で到着します。

 

お車の場合は、京都駅からおよそ30分。境内には参拝者用の駐車場も整備されています。初詣シーズンや紅葉シーズンは満車になる場合もありますのでご注意くださいね。

 

まとめ

京都市内でも指折りの初詣スポットでもある『北野天満宮』の初詣参拝レポートをお届けしました!元日でもびっくりするような混雑は見られませんでしたので、少し余裕を持っていらしてもゆっくり参拝できるかと思います。

 

 

【年末年始京都旅行記】4日目。1月1日のこの日は、京都市内の神社に初詣で回っています。午前中に岡崎神社と平安神宮、午後はここ『北野天満宮』。次はお隣、こちらも歴史ある神社へ向かいます。次回もぜひお楽しみに!

 

北野天満宮』の基本情報

アクセス

京福電鉄北野線 北野白梅町駅より徒歩5分

京都市バス 北野天満宮前バス停よりすぐ ※10、50、51、55、203系統

京都駅より車で30分

 

参拝時間

6:30-20:00

※季節により異なる

 

定休日

年中無休

 

参拝料金

無料

 

駐車場

参拝者専用駐車場あり

 

アドレス

京都府京都市上京区馬喰町

075-461-0005