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NHK大河ドラマ【どうする家康】第3話コラム 三河平定戦!

NHK大河ドラマ『どうする家康』第3話コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均35泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

 

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム】の記事をお届けしています。


 

桶狭間の戦い後の家康

 

桶狭間の戦いを終えて…三河の本拠地・岡崎城へと入った松平元康(のちの徳川家康)。

 

この時点では、元康率いる三河勢は今川の尖兵です。相対するは尾張織田信長。今川VS織田の最前線に、松平勢は立たされてしまったのです。

 

当時の三河国は、東の今川と西の織田が領地を奪い合う係争地でした。本来、三河一国を統べるべき松平の若君は今川の一武将になり、水野や吉良といった小領主が国内各地に割拠している状況。桶狭間の戦いで今川の脅威を取り除いた織田信長にとって、岡崎城に入った松平元康がどう出るかで、戦略を変えなければならないほどの存在だったのです。

 

当時の元康の置かれた状況は複雑でした。

 

今川の本拠地である駿府には、自らの妻・瀬名姫とその子供たちが生活しています。一方、織田方に味方する刈谷の水野氏の元には、自らの母親である於大の方がいました。

 

長男竹千代と長女亀姫

駿府の今川のもとには、元康の妻・瀬名姫と、嫡男竹千代、長女亀姫が生活しています。今川にしてみれば、彼女らは人質。松平が裏切らないように身柄を押さえていました。妻子が大切ならば、我が味方でいろ!と、ある種の恫喝を元康へ与えていたのです。

 

ちなみに嫡男の竹千代とは、後の松平信康。元康が生涯痛恨とした非業の若大将です。彼はこの『どうする家康』でも、キーパーソンとして後に登場するはずです。

 

そして長女の亀姫は、対武田との最前線に立つことになる、長篠城主・奥平信昌のもとへ嫁ぐことになります。彼女は、江戸時代まで続く奥平系松平の祖として天寿を全うします。

 

於大の方

今回登場したもうひとりのキーパーソンが、元康の母親・於大の方です。彼女は、元康の父・広忠が今川方、実家の水野氏信元が織田方に着いた時に離縁され、実家の水野家へと戻されていました。

 

於大の方は、実家に帰った後で尾張の豪族久松氏の元へ再嫁し、三男三女を設けます。元康にとっては、異父弟と異父妹になります。父を幼くしてなくしている元康にとって、貴重な兄弟とも言えますね。久松一族はやがて松平の姓を与えられ、元康を支える一門大名となります。

 

於大の方はその後も長寿を全うし1602年に江戸で逝去します。彼女の法名は「伝通院」。東京都文京区の伝通院にお墓が残されています。

 

どうする?元康?

このように当時の松平元康は、自らだけでなく、家族も含めて東の今川と西の織田に複雑な立場を容赦なくされていました。こんな状況のなか…彼はどちらに着くかを決断しなければなりませんでした。

 

仮に妻子を守るため今川方に残っていたら…織田勢の総攻撃をまともに受け、松平氏は滅亡していたかもしれません。

 

彼は泣く泣く、母と水野氏の説得に応じ…織田方へと立場を変えました。この涙ながらの決断が…後に続く徳川家康の天下へと続いていくことになります。

 

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