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【長野】『海野宿』は昔ながらの町並み残る北国街道の宿場町!

北国街道の宿場町『海野宿』は昔ながらの町並みがそのまま残る風景が魅力!
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まるでタイムスリップしたかのよう!江戸時代からの風景がそのまま残る、北国街道の宿場町『海野宿』の散策をリポートします!

 

こんにちは!当ブログへお立ち寄り下さり、まことにありがとうございます。

こちらは、年間宿泊40日!本業の傍ら、全国47都道府県を駆け巡っている旅行プランナー/ブロガーの「旅人サイファ」が執筆・運営しています。

この記事は7月に訪れた【夏休み山梨長野温泉旅行記】からの素敵な温泉とグルメの旅レポートです!ぜひお楽しみください!

 

『海野宿』の歴史f:id:traveler-cipher:20221012080819j:image

『海野宿』は、東山道(中仙道)から分岐した北国街道の宿場町です。

 

あまり聞きなれない街道ですが、そもそも北国街道とは何でしょうか?

北国街道とは、軽井沢追分で東山道(中仙道)からで枝分かれし、善光寺(長野市)を経て、直江津(上越市)で北陸道と接続する古道です。

 

江戸時代には、江戸と善光寺を結ぶ参詣道として、また佐渡の金を江戸へ運ぶための道として重要視され、整備が進められました。

 

現在の国道18号線北陸新幹線のルートが、ほぼこの北国街道のルートを踏襲しています。

そんな北国街道に作られた宿場町のひとつが、ここ『海野宿』なんです。かつては、善光寺参詣の旅人や佐渡の金を運ぶ役人の往来などで、非常に賑わったと言われています。

 

現在は、およそ650mに渡り古い町並みが残り、「日本の道100選」「重要建造物群保存地区」にも指定されています。

 

ちなみに『海野宿』は元々、地元の土豪「海野氏」が本拠地とした城下町でした。この海野氏は、東信地方一帯に勢力を持っており、かの有名な真田氏も海野氏の一族なんです!

 

真田幸村の祖父、武田信玄に仕えた真田幸隆は、ここ海野宿のあった地で産まれたとも言われています。

 

『海野宿』へのアクセス/駐車場f:id:traveler-cipher:20221012080759j:image

『海野宿』へは、上信越自動車道の東部湯の丸ICから10分ほどのところに位置しています。

 

無料の駐車場が整備されていて、宿場町通りの東側入り口に第一駐車場(およそ30台)と、中央部付近に第二駐車場(およそ60台)が駐車できます。

 

公共交通機関をご利用の場合は、しなの鉄道・田中駅もしくは大屋駅よりタクシー利用で5分ほどで到着します。

 

『海野宿』の見どころ①白鳥神社

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『海野宿』の東側入り口に鎮座しているのが「白鳥神社」です。ここは、先述の海野氏一族の氏神さま!真田氏からも厚く尊崇されたとも伝わっています。


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本殿そのものは小ぢんまりとした素朴な作りですが境内にある御神木の巨大さが、その年月の長さを物語っています。きっと海野氏が生活していたころから、この地を見守ってきたんでしょうね。


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ちなみにこの地は、源平合戦時代に活躍した「木曽義仲」が反平家の挙兵をした地でもあるんです。

 

木曽義仲挙兵の地(白鳥河原の勢揃)

 治承五(1181)年6月、後白河法皇の第二皇子、高倉宮以仁王の発した平家討伐の令旨に応じ木曽に旗挙げした木曽次郎源義仲は、丸子の依田城を経て、ここ白鳥神社前に広がる千曲川原「白鳥河原」に拳兵しました。平家物語源平盛衰記に語 り継がれる「白鳥河原の勢揃」です。

 

義仲のもとに馳せ参じたのは樋口・今井・根井・楯といった木曽四天王の家臣団をはじめ、地元の海野、祢津、望月、小室ら滋野一族を中心とした東信濃の豪族と、西上州の武士団が集結。その数、二千騎とも三千騎とも云われています。当時の海野郷は滋野一族の宗家、海野氏の本領であり、経済、交通、軍事の要衝でした。

 

義仲は長野の横田河原、越中倶利伽羅峠で平家大軍を撃 破し破竹の勢いで京都に上洛。寿永三(1184)年1月、征東大将軍に任ぜられるも、その十数日後、近江粟津で戦死、旭将軍の挙兵はわずか三年の悲運に終ります。

 

木曽義仲拳兵において中核を担った海野氏。中原兼遠から義仲を託された当主・海野幸親のもと、嫡男・海野幸広は侍大将を担い(備中水島の海戦で戦死)次男・海野通広は義仲の祐筆で軍師としても活躍した大夫房覚明であると云われています。

 

また、幸広の嫡男、海野幸氏は義仲の滅亡後に源頼朝に仕え、鎌倉武士の弓馬四天王として名を馳せました。

真田幸村で有名な真田氏の先祖は、木曽義仲軍団の主力として、ここ『海野宿』の地からはるか京都へと攻め進んだんですね。

 

『海野宿』の見どころ②宿場町の町並み

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『海野宿』最大の見どころが、当時からの姿をほぼそのまま残している古い町並みです。東西およそ650m。中央には水路に水が流れています。かつてはこの水路で、馬が水を補給したり、旅人が足を洗ったりしていたそうです。

 

両側に当時旅籠や商店であったであろう、格子戸を構えた建物が並ぶ姿はまさに圧巻!電柱や電線すら一本も視界に入らないため、当時とほぼ同じ風景を、現代にいながらにして楽しむことができるのです!


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この日は朝早い時間でしたので、開いているお店も多くありませんでした。そんな中の一軒、お土産屋さんとして営業しているお店がありましたので、ふらっと立ち寄ることに。


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お店の建物の中も、当時の姿そのまま!中二階には、かつて盛んに行われていた養蚕のための部屋がそのまま残されていました。

 

『海野宿』の見どころ③隠れた名物グルメも!

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ちなみに、こちらのお店は、現地の人気道の駅「雷電の里」出張店舗のようです。この「道の駅雷電の里」の隠れた人気商品がこの「くるみおはぎ」なんですが…なんとここで売っているではありませんか!思わぬ出会いに瞬時に購入しちゃいました!

 

このおはぎ、一見、普通のおはぎのように見えますが…さにあらず!このおはぎがまとっているのは、きな粉ではなく「くるみ粉」!口に入れると、香ばしいくるみの香りが口いっぱいに広がる逸品です!変わらぬ美味しさに感動!ご馳走さまでした!


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かつて、北国街道の宿場町として栄えた『海野宿』。時代は過ぎ、鉄道や新幹線、高速道路などに交通の主役が変わったことで、『海野宿』は宿場町としての役割を終えました。

 

だがしかし、この北国街道がわずかに迂回していたことがその運命を変えます。鉄道や道路に呑み込まれることなく、また市街地に姿を変えることもなかったことで、現在もなお、在りし日の姿そのままで、我々にその風景を届けてくれているのです。

 

さて!全10回に及んだ【夏休み山梨長野温泉旅行記】も今回で最終回です。天候に恵まれず、予定していた行程すべては実行できませんでしたが、その分、良質な温泉を堪能できました!

 

次回の旅行記は、今年度最大の旅行イベント【夏休み奄美大島旅行記】をお届けする予定です!そちらもぜひご愛顧くださいませ!

 

『海野宿』

アクセス

上信越自動車道 東部湯の丸ICより10分

しなの鉄道 大屋駅よりタクシー5分

 

営業時間

24時間散策自由

 

定休日

年中無休

 

入場料金

見学無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

長野県東御市本海野1052ほか

0268-62-7701(東御市観光情報ステーション)