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かつての仙台藩No.2!『白石』と『片倉小十郎』のDNAは北海道に!?

宮城県『白石』のDNAは北海道で行き続けている!!】

一国一城令によって厳しく制限されていた江戸時代。伊達政宗を始祖とする仙台藩では、例外的に2つの城の保有が許されていました。


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ひとつが、伊達本家が居住する本拠地「仙台城」。そしてもうひとつが、仙台藩の南方、蔵王連山の麓に位置する『白石城』です。

 

白石城』は、仙台藩の家臣「片倉家」が治める城でした。片倉家の当主は、代々「片倉小十郎」を名乗り、家中でも武勇の誉れ高い重臣として知られていました。

 

片倉家の歴代当主として最も有名なのが「片倉小十郎景綱」です。彼は「伊達政宗」の傅役(教育係兼側近)として常に政宗を支え、その覇業の片腕として活躍していました。

「独眼竜」としても知られる、隻眼の政宗は有名ですが、実は政宗の片目を切り落としたのが…「片倉小十郎景綱」その人なんです!

 

幼少期、政宗を襲った恐るべき病が「天然痘」。当時は、極めて致死率の高い病として恐れられていました。幼い政宗は辛うじて一命こそ取り留めたものの…顔にはあばたが残り、右の目は失明し醜く飛び出していたとも伝わります。

 

そんな容貌が一変した政宗を、実の母は愛しませんでした。幼い政宗は、そんな境遇と得られぬ母の冷たい視線に傷付き、内向的な暗い性格の少年として育っていたと伝わります。

しかし!そんな政宗を叱咤し、前へ進ませようとしたのが傅役の片倉小十郎でした。

 

彼は小刀を手に、政宗に迫ります。そして彼に覚悟を問うと…その右目を切り捨てたのです!

麻酔や鎮静剤などない頃の話です。その主従の覚悟たるや!!

 

こうして、そのただれた右目とともに内向的な政宗は消えます。そして、やがて奥州一の風雲児として、秀吉や家康とも堂々と渡り合い、伊達家仙台藩62万石を打ち立てるに至るのです!

 

そんな伊達家随一の忠臣「片倉小十郎」が守ったのが『白石城』です。彼は、秀吉や家康からも目をかけられて、独立大名に準じる扱いを受けていました。そのために、彼が治めた『白石城』も、一国一城令の例外として、仙台藩内に存続することを許されていたようです。

 

…しかし。

時は流れて幕末。仙台藩を筆頭とする奥州各藩は、新政府軍の薩摩や長州と敵対、戊辰戦争で全面対決となります。

 

この時、新政府軍への対抗として結ばれた「奥羽越列藩同盟」の本拠地は、ここ白石城に置かれました。

しかし、会津藩、長岡藩、庄内藩といった同盟側の各藩に迫る新政府軍。奥州各藩は、必死の抵抗を続けますが…勢いに乗る新政府軍の猛攻には抗えず…やがてみな降伏。列藩同盟は瓦解します。

 

この敗戦の結果…本拠地の置かれていた「白石」は「反乱軍の象徴」とみなされ、当主片倉邦憲は代々の領地1.8万石と居城『白石城』を没収されてしまうのです。


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困窮した片倉家とその家臣団は路頭に迷います。そしてこの困窮から逃れる唯一の方法として…彼らが選んだ道は、北海道への移住開拓!彼らは自ら進んで、新政府に北海道開拓を志願するのです。

 

この時に北海道内に与えられたのが、石狩国の最月寒(もつきさっぷ)の土地でした。

当時の北海道は、ごく一部の町を除きほぼ全てが見渡す限りの荒野。最月寒の地に赴いた彼らは、そんな絶望的な光景にもめげることなく、片倉の当主自らも開拓に汗を流したと伝わります。

 

そして、彼ら片倉家臣団は、精力的にこの地を開拓。北海道の冬の寒さに耐えながらも、短期間で集落を作りあげるという驚くべき成果をあげるのです!

片倉家臣団の働きに感心した北海道開拓史の岩村通俊は、粋な計らいをします。白石衆がゼロから作り上げたこの土地を…彼らの郷里名を取って『白石』と名付けるのです!

 

ご存知でしょうか?現在のJR札幌駅のふたつお隣にあるのが…「白石駅」、そしてその周辺に作られたのが「白石村」…現在の「札幌市白石区」です。

そう!この地こそが、領地没収された「片倉家とその家臣団」が、まさにゼロから作り上げた町なのです!

 

戊辰戦争で朝敵とされながらも…極寒の北国で懸命に生きた片倉小十郎とその家臣団。今では、100万都市札幌の一区として…その名を現在に留めているのです!


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もしも札幌市白石区やJR白石駅を訪れる機会がありましたら、ぜひ一歩立ち止まって、この土地を開き死んでいった、片倉小十郎とその家臣団を思い出してください。

 

彼ら片倉白石のDNAは、北海道の地に確実に刻まれています。伊達が誇る片倉家の勇武!ここにあり!