【南部総鎮守 一之宮 櫛引八幡宮(くしひき-)】
青森県八戸市にある『櫛引八幡宮』は、かつてここ北東北一帯を領していた名族「南部家」の総氏様です。
南部家は元々甲斐国(現在の山梨県)にありました。先祖は後の世に活躍する武田信玄で有名な武田の一族です。
甲斐(山梨県)に領地を持っていた南部一族が、なぜこんな北東北へ流れ着いたのか?そのルーツは、鎌倉時代初期にまで遡ります。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、対立した奥州藤原氏を成敗するために、征討軍を北へ差し向けます。この戦いは、圧倒的な兵力を誇る鎌倉幕府軍の圧勝に終わり、奥州藤原氏は滅亡します。
戦後、藤原氏の支配していた領地は、戦いで活躍した関東武士達に分配されます。この時、戦いに従軍した武士のひとり、南部光行には東北の最果て「糠部郡」が与えられます。やがて東北の一大勢力となる南部家。その起こりは、頼朝による奥州征伐にあるのです。
東北に領地を得た南部家は、八戸に拠点を築き領国の経営を行いました。この時に創建されたのが、ここ四戸の地に鎮座している『櫛引八幡宮』なのです。
『櫛引八幡宮』の一帯は、鬱蒼とした杉並木に囲まれ、とても澄んだ空気が流れています。さすが1000年近くに渡ってこの地を見守ってきた神社ですね!風格が違います。
神門をくぐると、真正面に拝殿が置かれています。こちらは昭和に建て替えられたものですが、華美すぎる装飾もなくとても趣がありますね!
ちなみに…こちらは「南部一之宮」を名乗っていますが、これはあくまでも自称です。
東北地方(太平洋側)は、律令国(旧国)で言うと、青森から福島まで全て引っくるめて「陸奥国」でした。そんな陸奥国の一宮は、現宮城県の「塩竈神社」と現福島県の「都々古別神社」の二社と言われています。
ここ『櫛引八幡宮』は、あくまでも南部家の氏神さま。「南部領の中での一宮格」ということで、昭和になってから「南部一之宮」を私称したようです。
ということで、正式な一宮ではありませんが、南部家にとって、最も重要視された神社であることは間違いありません。それだけの風格も備えています。
さて、拝殿でお参りを終えて境内を散策します。拝殿の裏手には、拝殿の後方へ回れるよう小径が付けられています。こちらからは、国の重要文化財に指定されている本殿を間近に見ることができますので、ぜひ行ってみてください。
こぢんまりとした社殿ですが…江戸時代中期に建てられた優美な姿を今に伝えています。
さて、一通り参拝を終えましたが…実はここ『櫛引八幡宮』にはもうひとつ!必見のポイントがあるのです!
それがこちら!境内の片隅にある「国宝館」!
『櫛引八幡宮』にいらした時は、絶対に立ち寄って欲しいところです。
社務所で見学を申し込むと、巫女さんが鍵を開けてくださいました。ここから先は有料ですが…それだけの価値はあります。ガラス扉の内部は撮影禁止なのが惜しい!
こちらに納められているのが、八戸が誇る至宝。鎌倉時代と室町時代から伝わるとされる二領の鎧兜なんです!どちらも国宝に指定されています!
国宝 国宝赤糸威鎧「菊一文字」
※写真は櫛引八幡宮HPより拝借
大袖と兜に菊一文字の飾金物があり、「菊一文字の鎧兜」としてあまりにも有名である。
鎌倉末期の方式になる典型的な鎧でほとんどあますところなく装飾された菊籬金物の意匠は精妙をきわめ、技法もまた峻勁緻密であって、鎌倉時代金工芸術の特色を最もよく発揮している。
春日大社の「赤糸威鎧(竹に雀虎金物付)」とならんで、装飾金物の豪華な点において現存甲胄の双璧と称される。
国宝 白糸威褄取鎧
※写真は櫛引八幡宮HPより拝借
紫・薄紫・黄・萌黄・紅糸をもって褄取りを施した白糸の威毛は気品に満ち、全体の形姿も端正で、南北朝時代武将の心ばえがしのばれる名品である。
現存鎧中大形の部類に属するもので、作技も優れ、保存もよく、南北朝時代の代表的な鎧とされている。
南部信光公が後村上天皇から拝領したものと伝えられる。
これらがまた素晴らしいこと!ガラス越しとはいえ…まさかこんな間近でじっくりと見学できるとは!何分くらいいただろうか。30分近くは見とれていた気がします!
ちなみに、館内に掲げられていた「南部家家系図」が、とても分かりやすくまとめられていたので、掲載しておきますね。
東北に領地を得た南部家は、八戸を拠点にした根城系統と、三戸を拠点にした三戸系統に別れます。
やがて江戸時代に盛岡藩を起こすのは、三戸系統。八戸系統は、岩手県遠野に支藩を建てられて存続します。
櫛引八幡宮
アクセス
八戸自動車道 八戸ICより10分
営業時間
24時間参拝自由
国宝館は9:00-17:00
定休日
年中無休
入場料金
参拝無料
国宝館入館料
大人400円 中高生300円 小学生200円
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
0178-27-3053
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