こんにちは!旅人サイファです。
【秋の鹿児島旅行記】、お昼ご飯に絶品の黒豚とんかつ頂いて元気いっぱい!(笑)
続いては、鹿児島市内の名所を散策します。
まず訪れたのはこちら!鹿児島市内随一の神社『照国神社(てるくに-)』に立ち寄りました。
ここ『照国神社』の御祭神は島津斉彬公。幕末の薩摩藩を導いた名君です。午前中に立ち寄った「尚古集成館」に保存されている、数々の近代事業を起こした、先見の明のある人物でした。
斉彬公の業績は多岐に渡ります。
積極的な西洋文明導入による国力増強と殖産興業により、人々の生活向上と、諸外国からの侵略・植民地化を防ぐために残した功績ははかりしれません。
この島津斉彬公がいなければ…日本の近代化は10年は遅れたことでしょう。それに明治を作った中心人物・西郷隆盛や大久保利通も世に出ていなかった可能性が高いのです。
もしかしたら…日本も他のアジア諸国と同じく西洋列強の植民地化とされていた世界線もあり得たでしょう。この国を現在の豊かな日本国へと導いた、大恩人のひとりと言っても良いでしょう。
その島津斉彬公の声望を称え建てられたのがここ『照国神社』です。
まだ明治になる前の1862年に、島津薩摩藩の本城であった「鶴丸城」の西域に社殿を創建したのが始まりです。
その後、明治初期の西南戦争や昭和の太平洋戦争の度に社殿は焼失…現在の本殿は昭和25年に再建したものです。
御由緒
御祭神 照国大明神(島津家28代当主島津斉彬公)
ご祭神は文化六年薩摩藩主島津斉興公の御嫡男として江戸で御誕生になりました。幼少の頃曾祖父島津重豪公や母賢章院の薫陶を受けられ、学問を好まれ、広く世界に眼を向けた開明的な考え方と科学的な知識を身につけられました。
(中略)
公は、日本を強く豊かな国にするため、積極的に西洋の科学技術の導入に努められました。さらにその核となった日本初の西洋式工場群「集成館」を鹿児島に設置され、「富国強兵」「殖産興業」という理念のもとに近代日本の礎をお築きになったのです。
(中略)
文久三年には御生前の幾多の御事磧を称えて、勅命により輝国大明神の御神号が授けられました。
(中略)
今日鹿児島県の総守護神・氏神様として尊崇されております。
薩摩藩主としての治世はわずか7年。しかしその50余年の人生のおかげで日本は救われ、彼の事跡が現代の豊かな日本の礎となったと言っても過言ではないでしょう。
さて『照国神社』から歩いて数分のところには、島津斉彬公の一番弟子とも言える、西郷隆盛の像が立っています。
東京上野の西郷象が犬を連れた着流し姿であるのと対照的に、ここ鹿児島の西郷像は凛々しい軍服姿です。
上野の西郷像は、西郷隆盛本人が嫌いだったこともありモデルとすべき写真が存在していませんでした。そこで、弟の海軍大臣・西郷従道や従兄弟の大山巌らの写真をモデルに作られたと言われています。しかし、出来上がった西郷像その実像とはかけ離れていたようで、除幕式ではその妻君が「ウチの人はこげん顔ではなか!」と呟いたという逸話は有名ですね。
この鹿児島の西郷隆盛像、実はとても面白い場所に立っています。それがこちら。
なんと、ここら「国道58号線」の起点。沖縄の大動脈である国道58号は、この西郷像の足下からスタートしているんです!
ここから種子島、奄美大島を経て沖縄本島の那覇市まで、およそ850kmも延びているんです。沖縄専用の国道じゃないんですよ!
鹿児島の西郷隆盛像は、彼の死去の地・城山の麓で今も凛々しく軍服姿で立っています。その彼の目線の先は…はるか沖縄を見ているのかもしれませんね。
アクセス
九州自動車道 鹿児島北ICより20分
参拝時間
24時間
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
099-222-1820
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