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国書偽造!?対馬と朝鮮の秘密外交を暴露!『柳川一件』とは?後編

こんにちは!旅人サイファです!

今回は前回に引き続き…対馬藩主・宗義智が画策した秘密外交について記事にまとめます。f:id:traveler-cipher:20211218095658j:image

豊臣秀吉による朝鮮出兵により、壊滅的なダメージを受けた日朝関係。新たな天下人・徳川家康は、関ヶ原の戦いで西軍として参戦しながらも領土を安堵した、対馬藩主・宗義智に日朝関係の修復を命じます。

 

この国交回復交渉の中、朝鮮王家から出された条件が「日本から先に国書を送ること」でした。先に国書を送るという行為は、朝鮮への恭順を意味します。

しかし…新政権を樹立したばかりの徳川家康がそれに応じるはずがありません。面子を汚されることになりますし、諸大名にも示しが付かず、せっかくまとめた天下も危うくさせかねませんからね。

 

そんな徳川幕府と朝鮮王家の板挟みにされ最も苦しんだのが、日本側の交渉代理人として一任された対馬藩主・宗義智でした。

 

宗義智は、家老の柳川調信(やながわしげのぶ)・智永親子と僧侶景轍玄蘇(けいてつげんそ)と謀り…ある細工を実行します。

 

それは…「国書偽造」!!

 

なんと朝鮮王家へ、徳川家康からという形の国書を偽造して提出するのです!さらにその返信である朝鮮王家から家康宛の返書の内容を書き換え、国王印すら偽造して作成した「偽国書」とすり替えて徳川幕府へ提出するのです!

 

まさに命をかけた必死の工作。すべては、朝鮮との関係を修復し貿易を再開するための一点。この後も対馬藩は、偽造と改ざんを繰り返し、双方の面子が保たれるよう奔走します。うーん!嘘を嘘で固める悪循環!

 

この死に物狂いの工作の甲斐もあって、慶長14(1609)年、日朝貿易協定である「己酉約条(きゆうやくじょう)」が結ばれるのです。

 

しかし…

 

この国書偽造、やがて幕府にバレます。あろうことか訴え出たのは、対馬藩の家老・柳川調興その人。国書偽造の実際を仕切った対馬藩家老・柳川智永の息子です。

 

長年積もりに積もった確執があったのでしょうか。第2代対馬藩主・宗義成(よしなり 義智の子)と仲違いし対立した柳川調興は、徳川幕府対馬藩の過去の国書偽造と改ざんを暴露!藩主・宗一族の過去の悪行を白日に曝すことで、自らを対馬藩から独立した徳川幕府直轄の旗本として身を立てようと画策したと言われています。あわよくば、宗一族を追い落とし、代わって大名の座を狙っていたとも!

 

やがて寛永12(1635)年、江戸城内にて将軍家光の面前で両者の公開裁判が行われました。この時、江戸城大広間では旗本と大名が総登城し、この対決の様子を見守ったと言います。

 

この時、先代・宗義智と親交の深かった仙台藩主・伊達政宗は、甲冑フル装備の3000の兵を率いて江戸城まで駆けつけたと言います。これは、宗一族を守るため、幕府首脳陣へのプレッシャーをかける目的だったとも言われています。

 

結局この裁判、激しい論争の末に将軍・家光が下した判決は…「宗一族の罪は不問。一方の柳川調信は所領没収のうえ津軽へ配流。」宗義成の勝訴でした。

 

将軍・家光や幕府首脳陣にしてみれば…

  • 既に外交関係が再開している以上、過去をほじくり返しても仕方ない
  • これまで通り、対馬藩主・宗一族に対朝鮮外交は一任した方が上手くいく

…といった判断だったのでしょう。

 

その代わり、対馬には漢語に達者な僧侶が幕府からの使命を受け派遣され、常に朝鮮外交が監視されることになります。しかし外交窓口はこれまで通り、対馬藩主・宗一族に一任され続けます。

 

国書偽造という重罪を犯すほど…対馬にとって朝鮮国との交易は重要なものだったのでしょうね。

 

この対島藩の死に物狂いの外交によって…日朝関係は修復し、徳川将軍の代替わりのたびに「朝鮮通信使」が派遣されるに至るのです。

この対馬を舞台にした一連の裁判沙汰は…柳川一件(やながわいっけん)」と呼ばれます。

 

ちなみに青森県津軽地方には、「対馬」姓を名乗る一族が非常に多く住んでいます。この一族は、この事件で津軽へ流刑とされた「柳川一族」が故郷を想い、「対馬」を名乗ったことから始まったとされています。

 

彼ら柳川一族は、はるか津軽に流されてからも…故郷対馬のことを忘れなかったんでしょうね。

 

宗義智については旅行記でも触れています!

 

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