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米を作らねば人にあらず…日本人と稲作(前編)

こんにちは。旅人サイファです。

今回は明治維新までの日本人の価値観のお話です。

 

価値観というと…現代は多様な価値観を許容できる世の中になっていますよね。

仕事が大切という人もいれば、お金が大切、家族が大切…などなど。

優先順位は人それぞれ。ひとりひとりが異なる価値観を持っていることが当たり前とされています。


しかし…明治維新前の封建社会では、あるひとつのモノこそに唯一無二の価値が置かれていました。
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そう。日本人の絶対的な価値観とは『米』です。

 

古くは弥生時代から、日本人にとって米は生命そのものでした。

食糧を狩猟や採集に頼っていた時代とは比べ物にならないほど、日本人の腹を満たし、飢餓から救ってくれた米。

日本の歴史は、稲作が入って来てからダイナミックに動き出します。

 

稲作をするには、土地を開墾したり、水の流れを整えたりと、地域住民が協力し合う、組織だった生産が必要です。

そのために、ムラが作られ、クニができ…そしてその生命の源・田んぼ=土地を守る概念が産まれます。

 

狩猟時代は、土地にこだわる必要はそれほどありませんでした。

獲物が減れば人間が居住地ごと移転して、新たな狩場で狩りをすれば良い。

しかし、稲作を手に入れたことで、日本人は土地と米に異常な執着をすることになるのです。

 

かつて日本全土に広がっていた狩猟民族である縄文人

それが、稲作を手に入れた弥生人による圧迫を受け…徐々に東へそして北へと追いやられていきます。

 

以前の記事にも触れましたが、『関東』とは本来の意味は『関所』の『東側』。

ヤマト朝廷の敷いた街道に3つの関所を設け、その内側を『関内』、外側を『関東』として区別したのが始まりです。

 

関所は弥生文化圏(ヤマト朝廷)と縄文文化圏の境でもありました。

関所の東はまつろわぬ蛮族・東夷(あずまえびす)が暮らす恐ろしい世界。

縄文人(関東人)は文化の異なる異民族と考えられていたのです。

(つづく)

 

次回です!