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米を作らねば人にあらず…日本人と稲作(中編)

こんにちは!旅人サイファです。

今回は昨日の前編に引き続いて、日本人と稲作(中編)をお届けします。
f:id:traveler-cipher:20210425223706j:image前回、奈良を中心に発展したヤマト朝廷から見た世界観を述べました。

 

畿内(=奈良京都大阪)より西の諸国では、盛んに稲作が進められていました。

それはつまりヤマト朝廷の勢力圏、弥生文化圏です。

 

稲作で得られる食糧と、狩猟で得られる食糧の違いとは何でしょうか?

その一番の違い、それは「保存が効く」という点です。

 

狩猟で得た動物肉や魚肉は、いずれ腐敗します。

もちろん、腐敗しないよう先人から数多の工夫も為されてはいましたが、米の保存力には到底敵いません。

基本的に、狩猟民族は食糧が足りなくなったら狩りに出て獲物を捕ってこなくてはなりません。(餓えを凌ぐために芋類等の生産はしていたようですが)

 

しかし、稲作を覚えた弥生人は、収穫した米を保存し、足りなくなったら倉庫から取り出して食べることができます。

 

その結果、何が起きるか?

人口が増えるのです。

 

農耕を覚えた人類は、餓えから解放されるためより多くの人間を養うことが可能になります。

もちろん、干ばつや水害などでその年の収穫が全滅することもありますので、まだまだ安定的な供給とはいかないでしょうが、狩猟採集の文化に比べるとその安定感は抜群です。

 

そして人口が増えると…今度はその増えた余った人口を養うために新たな土地を必要とします。

こうして、ヤマト朝廷は次第に東へ北へ、その勢力圏を拡大させていくのです。

 

こうして作られていったヤマトによる価値観。

『米を作らねば人にあらず』

 

ヤマト勢力圏に入り米作りを始めた民は、穏便にヤマト朝廷の統治下に組み込まれていきました。

しかし一部に、それまでの生活を守り、米作りを良しとしない人々も存在しました。

米作りを拒否した彼らは…『まつろわぬ民』『異民族』として迫害の対象になります。

(つづく)

 

次回です

 

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