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「長野県」よりも「信州」!県民はなぜ自分たちの県を「信州」と呼ぶのか?(前編)【旧国名シリーズ】

こんにちは!旅人サイファです。

今回は【旧国名シリーズ】から信濃国(現長野県)のお話。
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皆さん、不思議に感じたことありませんか?

なぜか『長野県』という呼び方よりも…『信州』という言葉の方が通りが良いと思いません?信州とは、旧国名信濃国』の略称です。

信濃国は、県域内に3000m級の山岳を多数抱える、日本随一の山岳国です。

古来より、山と山の間にわずかにできた小盆地ごとに地方領主が林立していたために、1つの国としての統一意識が希薄な国でした。

明治維新後に行われた廃藩置県では、信濃国は2つに分割され、北信東信を県域とする『長野県(県庁は長野)』と中信南信に飛騨国を加えて県域とする『筑摩県(県庁は松本)』の2つの県が成立しました。

この2つの県が明治9年に、飛騨国部分を岐阜県に分譲した上で合併したのが、現在の長野県です。

この『長野県』という県名…実は北信の住民以外には馴染みの薄いものでした。

長野県の県名の由来は『県庁が長野に置かれていたから』という単純な理由です。

現在でこそ、新幹線も停車する都市へと成長した長野市ですが、当時は長野なんていう地名は県民でもあまり聞いたこともありませんでした。

なぜか?

そもそも、長野県の前身は信濃国内の旗本領をまとめた『中野県』と言いました。

長野市の東方、現在の中野市に県庁が置かれていたためです。

しかし、この中野県庁が、騒動によって放火焼失してしまいます。

その結果、県庁が善光寺門前町である『長野村の西方寺』に移されたことで、『長野県』と改名されたのです。

『長野』はあくまで棚ボタ的に県庁となった寺が置かれていた一村に過ぎない…!

そんな寒村に県名や県庁を持っていかれた、松本、松代、上田、などの由緒ある城下町は怒りに震えます!

(つづく)

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