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【旧一級国道をめぐる】番外編 3つの京浜の謎

こんにちは!旅人サイファです!

今回は国道シリーズの番外編!

【3つの京浜道路の謎を追う!】をお届けします。

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皆さん、特に東京から川崎、横浜周辺にお住まいの方は、『第一国道』や『イチコク』、『第一京浜』『第二京浜』という言葉を聞いたことがあると思います。

ふんふん。

『第一国道』なんだから『国道1号線』のことでしょ?

当たり前じゃんか。

…そう思われる方も多いと思います。

ですが、実はそれは大間違い!

『第一国道』『第一京浜』とは『国道15号線』の別名なのです。

それでは『第二国道』『第二京浜』とは?

実はこれこそ『国道1号線』の別名!

さらにさらに。

第三京浜道路』なんていう道路も存在します。

これは、なぜか『第三国道』とは呼ばれません。

え?え?ワケワカラナイ!

なんでそうなった??

現在の国道1号線。 

東京から太平洋側を進み、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀、京都を経て大阪へ繋がる日本の大動脈です。

 

しかし、明治時代に初めて国道が作られた時は違いました。

当時の国道1号線は、東京から横浜までを通る『明治一號國道(めいじいちごうこくどう)』。

そのルートは江戸時代の旧東海道をほぼトレースしていました。

これが、現在の国道15号線になります。

長らく、日本の国道の代表として東京・横浜間(京浜間)の交通を担ってきたのがこの道路です。

通称『京濱國道(けいひんこくどう)』と呼ばれていました。

しかし、古くからの街道をトレースしたことが逆に仇になります。

さすが元は天下の東海道

周辺が市街地化していることで、交通量が頭打ち。

渋滞が目立つようになります。


そこで関東大震災後、明治一號國道のバイパス道として、新たな道路『新京濱国道』が作られることになります。

これこそが『第二京浜国道』!

現在の国道1号線です。

当時はあくまでも明治一號國道のバイパスという位置付け。

『國道三十六號線』という番号が付けられていました。

ですが、昭和27年。

戦後の新たな道路法が制定された際に、その立場が逆転します。

既に旧道と化していた『明治一號國道(第一京濱國道)』は、『国道15号線』とされ、後から作られた『国道三十六號線(第二京濱國道)』は晴れて『国道1号線』と指定されるのです。

しかし、『第一京浜』『第一国道』、『第二京浜』『第二国道』の通称はそのまま温存されます。

そのため、国道1号線が『第二国道』、国道15号線が『第一国道』という、分かりにくい状態になってしまったまま、現在に至るのです。

現・国道1号線

=第二国道(ニコク)、第二京浜

現・国道15号線

=第一国道(イチコク)、第一京浜

ちなみに、第三京浜道路はまた別の道路。

国道15号線(第一京浜)、国道1号線(第二京浜)に続いての、東京横浜間を結ぶ道路として計画されました。

この第三京浜道路の土地は、実は元々鉄道用地。

鎌倉急行電気鉄道が渋谷駅から藤沢駅を通り鎌倉坂ノ下まで直通する鉄道の事業免許を取得、現在の第三京浜のルートに沿って鉄道が敷かれるはずでした。

しかし、その後鉄道計画は頓挫。

自動車専用道路に計画変更されたために出来上がった路線です。

長く国道指定されていなかったため『第三国道』とは呼ばれず、現在まで『第三京浜』の名称で広く認知されています。

近年、国道466号線としてしていされましたが、誰も国道名では呼びません(笑)

いかがでしたか?

東京・横浜間を通る第一・第二・第三の京浜道路の不思議!

こんな裏歴史があったせいで、第一京浜第二京浜の逆転現象が起きていたのです!

本編もどうぞよろしくお願いいたします!

 

番外編その2!