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『麒麟がくる』もこれで理解しやすく!戦国大名と守護大名とは何か?

こんにちは!旅人サイファです。

今回は前回お話した『戦国時代とは何か』から派生して、こちら!


戦国大名とはなにか?守護大名との違いは?』をお届けします。
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 この話を理解していると、現在放送中のNHK大河ドラマ麒麟がくる』の世界観をもっと深く楽しむことができますよー!

まず、前回のおさらい。

戦国時代とは?

戦国時代とは、いわゆる室町時代後半。

一応、形として室町幕府は存在しているので室町時代であることに間違いはない。

しかし。京都で起こった応仁の乱の後に室町幕府の権威は失墜。

各地で下剋上が起こり、各自が勝手に領土を広げ、統制がとれなくなった時代が『戦国時代』と呼ばれています。
 さて、それではその下剋上で領土を広げた『戦国大名』とはなんなのか。ここでは、『守護大名』と合わせて解説しますね。


守護大名
とは?

そもそも、室町幕府から正式な任命を受けて国を治めていたのが『守護大名』と呼ばれる人々です。

現在放送中のNHK大河ドラマ麒麟がくる』でも登場しますね。

美濃国(現在の岐阜県南部)の守護は土岐頼芸

尾張国(現在の愛知県西部)の守護は斯波義統。

両者ともに配下の斎藤道三や織田彦五郎によって追放・暗殺されています。

ちなみに、甲斐(現在の山梨県)の武田信玄駿河(静岡県中部)今川義元も、その出自は守護大名です。

由緒ある家柄なんですね。

これらは守護大名から下剋上を受けないままに戦国大名化した例です。

その他には薩摩(現在の鹿児島県西部)の島津貴久常陸(現在の茨城県)佐竹義重あたりも守護出身の代表格ですね。

これらは古くは鎌倉幕府から、もしくは室町幕府から守護の任命を受けていた名族ともいえる存在です。

戦国大名とは?

それでは戦国大名とはなにか?

これは、守護大名の家来であった守護代や国衆(国人領主)という立場から下剋上を起こして守護大名を押し退けた存在。

守護代出身の大名は、越後(現在の新潟県)の長尾景虎(のちの上杉謙信)、越前(現在の福井県東部)の朝倉義景などが代表格。

国衆出身の大名は、安芸(現在の広島県西部)の毛利元就信濃(現在の長野県)の真田昌幸(幸村の父)などが代表格。


さらにさらに。

相模(現在の神奈川県南西部)の北条早雲美濃(現在の岐阜県南部)の斎藤道三は一介の素浪人から実力でのし上がったザ・下剋上の最たる家柄。(※最近の研究では否定されています)

国衆のようにはじめから領土を持っていない、正真正銘の成り上がり!

当時から『どこの馬の骨とも知れない』と言われていた存在ですね。

織豊系大名とは?

やがて織田信長豊臣秀吉徳川家康が天下取りを進めると、これらの部下たちが広大な領地与えられ大名化します。

これらはまた次の世代。

のちの世の江戸時代まで残る大名はその9割が、織田、豊臣、徳川の部下。単純に勝ち馬に乗っただけの『元々はただの地侍』だったりするのです(笑)

中には阿波(現在の徳島県)の蜂須賀正勝のように盗賊の棟梁だった人間もいますからね。(※こちらも最近の研究では否定的)

ほとんどが北条早雲斎藤道三と同じような『どこの馬の骨とも知れない』出自の人間が大部分を占めることになります。

これも、織田信長の作った、血筋や身分によらない、実力主義の世の中のおかげと言えますね。

※こちらの記事は一般向けに執筆しているため、分かりやすい俗説を採用しております。

最近の研究では、北条早雲足利将軍家に仕える由緒ある家柄の出身。

斎藤道三の国取りも親子二代で行ったものということが分かってきています。