こんにちは!旅人サイファです!
前回、日本史の時代区分について記事にしましたね。
今回は、その時分かりにくいかった、室町時代と戦国時代についてお話します!
室町時代とは、初代足利尊氏が征夷大将軍の宣下を受けて室町幕府を建ててから、15代足利義昭が織田信長によって追放されるまでの235年間を言います。(※諸説あり)
この室町時代。
先の鎌倉時代や後の江戸時代とは異なり、非常に不安定な政権でした。
そもそも足利幕府は、同格の武士の連合体に過ぎません。
初代足利尊氏も、源氏の血を引くだけの一地方武士でしかなく。
武士の主張を通すために盟主として祭り上げられただけの存在で、絶対的な権力を持ったリーダーではありませんでした。
特に応仁の乱が起こった1467年以後は、足利将軍家の権威は完全に失墜。
誰も将軍の言うことを聞かず、各地を領有する大名たちが自分勝手に政治を行い、戦争を仕掛け、領地を広げる…という世の中になってしまいました。
この室町幕府の統制が効かなくなった時代。
これを『戦国時代』と呼びます。
この戦国時代、日本史では珍しい「何でもあり」の時代でした。
なにより秩序がない。
本来的トップであるはずの室町幕府の命令を誰も聞かない。
そして、将軍→幕府首脳→地方大名→大名の家臣→一般民衆という身分制度も破綻します。
秩序も統制も効かないと世の中どうなるか?
簡単に言えば役所も警察もない世の中になります。
隣の家の稲が欲しければ隣人を殺して自分の物にする。
それを遺族が訴えても役所も警察も助けてくれない。
だから泣き寝入りするしかない。
そうならないために武器をそろえ自衛する。
さらにその土地の実力者に土地も財産も上納して庇護下に入る。
土地の実力者は周辺の民衆を従えて領土を拡大する。
ある程度の領土を広げた実力者は、その国を治める大名の家臣となる。
もしくは大名を実力で倒し、自分が大名の座につく。
実力主義のなんでもありの世の中。
それを戦国時代というのです。
それを象徴するのが『下克上』という言葉。
『下』が『上』に『克つ(かつ)』。
本来、越えることのできなかった身分の壁。
それを軽々と乗り越えるようになった新たな価値観を持つ新人類が登場した時代。
それこそが戦国時代の本質。
こうした風潮の中、一介の素浪人であった北条早雲が相模国を奪い一国の大名になり。
山間の地方領主(村長クラス)の毛利元就が中国地方を統一し。
守護大名の家来のそのまた家来に過ぎない織田信長が日本の大部分を支配することになるのです。
この新人類の登場が、日本史の次のステージへ進む最も原動力となったとも言えますね。
この戦国時代と織田信長の時代を経て、日本史は中世から近世へと歩みを進めることになるのです。
次回です!