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土佐のエネルギー源は『殿様のヘタレ根性』にあった!? 後編

前回につづき、土佐の歴史の話。

関ヶ原の戦いの後、土佐国に入国したのは山内一豊(やまうち かずとよ)という武将。

10年ちょっと前の大河ドラマ功名が辻』の主人公です。


高知城を作ったのもこの人!
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この山内一豊

稀に見る残念な武将と言われています。

いくつもエピソードが残りますが…本人よりも賢妻・千代のおかげで出世したと言う評価が多い。

  • 妻のへそくりで名馬を買って織田信長に気に入られる
  • 妻の手紙のおかげで徳川家康に気に入られる
  • 友人の息子のアイディアをパクり徳川家康に気に入られる


ひとつひとつ、それぞれ愉快なエピソードなのですが…ともかく。

武辺よりも機転で世の中を渡って来たような人物だったようです。

(※若い頃は武辺のエピソードも伝わっています)

そんな山内一豊が土佐にやってくる。

土佐の長宗我部の遺臣たちは豪傑揃い。

どんな殿様がやって来るのか…虎視眈々と待ち受けます。

山内一豊はこの新領地でどう対処したか?

なんと。

長宗我部の遺臣である生粋の土佐人は(一部の上級武士を除いて)…誰一人家臣に採用しない。

さらに、それに反抗した人々を騙し討ちにして殺してしまうようなこともしています。その手口が酷い。

『力自慢よ集え!相撲大会を開催する!』

と、称して腕っぷしの強い連中を集めて…集まった連中を皆殺しにしてしまうようなこともしている。

恐らく謀叛や一揆を恐れたのでしょう。

しかし。現地の人材を召し抱える度量を見せずに、逆に抹殺してしまう。 

山内一豊という殿様の人間性が垣間見えます。

結局、山内家の家来衆はほぼ全てが土佐以外のよそ者。

彼らは『上士』(じょうし)と呼ばれていました。

一方の長宗我部遺臣の土佐人は…一段下の『郷士』(ごうし)という階級で差別されました。

郷士は往来で上士に出会うと…道端で土下座して道を通さなければならないほど。

身分差別によるいじめです。

郷士は農民でもない。武士でもない。

中途半端な存在として侮蔑されていました。

時は下って江戸時代末期。

幕末から明治維新にかけて活躍したのは…そんな郷士階級の面々。

有名な武市半平太坂本龍馬岩崎弥太郎も、みな郷士階級出身です。

山内家は関ヶ原の勝ち組。

しかし土佐人は関ヶ原の負け組。

そんな複雑な環境が育てた維新のエネルギー。

身分に寄らない、新しい世の中を作るために、彼らの鬱屈したエネルギーが必要だったのでしょう。

(※自由民権運動板垣退助も土佐出身) 

もしも山内一豊という殿様が差別をせず、勇猛な土佐人を家臣として優遇していたら…。

もしかしたら坂本龍馬も世に出ていなかったかもしれませんね。

(※坂本家は元々商家。身分を買取り郷士となった)

前編はこちらです