こんにちは!旅人サイファです♪
今回は本州の最北端!みちのく青森県のお話!
この『みちのく』っていう言葉。
東北地方の別名としてよく目にしますよね。
そもそも『みちのく』ってなんでしょう?
これ、漢字で書くとすぐ分かります。
『陸奥』みちのおく。つまりみちのく。
陸地の奥=最果てを意味する言葉なんですね。
そんな最果ての青森県。
中心都市は3ヶ所に別れています。
中央に県庁所在地の青森市。
東に南部の八戸市。
実はこの、西の弘前と東の八戸。
ひっじょーーーーっに仲が悪い!
なぜこんなにも仲が悪いかというと、実は戦国時代からの因縁があるんです。
当時の北東北。
岩手県から青森県にかけては、鎌倉時代からこの地を治めていた、南部氏の大帝国が広がっていました。
南部氏の本拠地は八戸。
ここを根拠地として、北東北各地に一族を派遣し領国を治めていました。
ところが戦国時代末期。
安定していた北東北に大事件が起こります。
南部氏の一族であった大浦為信という武将が、あろうことか東北で最も平野の広がる米どころ、津軽地方を奪って独立してしまったのです。
この人は非常に知恵が回ったらしい。
この頃、中央で天下をほぼ手中に納めていた豊臣秀吉へ、南部氏よりも先に(ココ重要)、
『私は津軽の領主です。秀吉様に従いますから領地を認めてください!』と使いを送ってしまいます。
本来、正統な領主であった南部氏にとっては後の祭り!
後から豊臣秀吉へ使いを出すものの覆りません。
こうしてまんまと津軽の大平野は津軽為信に奪われてしまいました。
この南部氏の怨みはすさまじく。
この後の江戸時代になっても津軽の殿様と南部の殿様は常にいがみ合っていたようです。
南部氏による津軽の殿様を暗殺する計画も組まれていた…という説もあるくらい!