前回に引き続き青森県のお話!
…さて、こうしていがみ合っていた東の南部と西の津軽。
怨みを抱いたまま時は流れて明治維新を迎えます。
明治新政府は、最後まで抵抗した東北諸藩と南部を目の敵していました。
(ここでも津軽はいち早く新政府側に寝返っている!)
そしてあろうことか明治4年。
廃藩置県という新たに県を生み出す際に南部氏の領地を解体。
盛岡を中心としたエリアを岩手県。
八戸を中心としたエリアはなんと!
こちらはこうして作られた青森県の地図。
西側の黄色い&緑が旧津軽藩領。
東側の紫&ピンクが旧南部藩領。
(※一部斗南藩も含まれる)
『なんで憎き津軽の泥棒野郎と一緒にされなきゃいけないんだ!!』
抵抗はあったようですが、無理やり作られてしまった青森県。
当然、県庁所在地を巡る弘前と八戸の争いは激しいものでした。
結局、双方の中間点である小さな港町、青森に県庁は置かれることになりましたが…。
それでも納得しない八戸市民は、新設された八戸市役所を『市役所』とはせずに『市庁』と名付けます!全国でもここだけ!(笑)
青森県内を走る高速道路も面白い。
東京から北へ向かった東北自動車道は岩手県北部で、西の津軽→青森市へ進む本道と、東の八戸へ進む八戸自動車道へと二股へ別れます。
津軽方面と八戸方面を結ぶ高速道路は…現在も存在しません。
見事に分断されています。
特に八戸市民に抵抗感は強かったようです。
今でも、八戸市民は自分達を『青森県人』ではなく『南部の人間』だと思っている。
それを如実に表すのが新聞やテレビ。
なんと八戸市ではお隣岩手県の新聞である『岩手日報』が配達され、岩手県のテレビ局『岩手めんこいテレビ』が視聴できるようになっている!
県をまたいで隣県の新聞やテレビを見ているのは全国的にも稀有!
いやはや!
その怨みやすさまじい!
実は八戸市議会では青森県離脱→岩手県編入案も議論されたことがあるとか!
歴史的に根深い青森県内の東西争い。
もしも青森県出身の方とお話しする機会があったら…南部か津軽か、どちらのご出身か確認しましょうね(笑)
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