【ブラタモリ】『東海道五十七次』第三夜視聴レポート!
不定期土曜日連載!【ブラタモリ】視聴レポートをお届けします!今回のブラタモリ!テーマは『東海道五十七次』第三夜です!
筆者紹介
こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。
旅人サイファ実績
・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No.1
・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライター
・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数
・「にほんブログ村」国内旅行カテゴリPVランキング1位を記録
五十六番目「枚方宿」
五十五番目の淀宿から、東海道は淀川に沿って延びています。
つまり…大坂へ向かう旅人たちは、街道を歩くだけでなく、川を下る船便を選択することもできるのです。
船便はいわば高速道路。しゃー!と川を下れば、大坂までもスイスイです。つまり…この「枚方宿」は、大坂へ向かう人にとってはスルーされる宿場町なんですね。
反対に、江戸へ上る人は川の流れに逆らう方向になるため…歩いてこの宿場町を利用することになります。
これもいわば…上り方面へ向かう旅人のみを対象とした「ハーフインター」のようなものですよね。
このため枚方宿は、利用する旅人が半分になる宿命を背負った宿場町でもありました。ですから…どうにか旅人たちを枚方宿へ立ち寄らせる方策を…地元の人たちは考えていたようなんです。
その方策のひとつが、名物の「食らわんか舟」です。川を下る舟に横付けして、名物の「ごんぼ汁」などを売り付ける手法…現在も駅の駅弁売りや野球場のビール売りに、どこか通じるところもありますよね!商魂たくましい!
五十七番目「守口宿」
次の「守口宿」もまた、淀川沿いに開かれた宿場町です。
この辺りになると淀川も河口に近く、扇状地のような地形となります。そのため…ひとたび大水が溢れると、町は容易に水没してしまう危険を孕んでいる場所なんです。
そこでこの街道を整備した豊臣秀吉は、淀川の堤防の上に街道を通し、旅人の通行や宿場町の安全を確保しました。
現在も…旧東海道の道筋は、守口の新市街地よりも高いところを通っています。
ゴールは「大坂・高麗橋」
さて…江戸日本橋からスタートし、大津で京都への道を分けて大坂へと向かってきた「東海道五十七次」。
このゴールって…どこなのでしょうか?筆者はてっきり…大坂ミナミの中心部にある「日本橋」や「心斎橋」あたりかと思いましたが、意外や意外!なんと「東海道五十七次」のゴールは、天満橋のほど近くにある「高麗橋」だとか!
この「高麗橋」は、大坂城と大坂市中を結ぶルート上ですが…はっきりいってマイナーな橋ですよね。筆者も地図を調べないとどこだか分かりませんでした。
ところで?
大阪の町は、現在も梅田を中心とした「キタ」となんばを中心とした「ミナミ」に繁華街が分かれています。
秀吉や家康の時代の大阪中心部って…どこにあったんでしょうかね?
大都市化してしまうと…どうしても町の歴史が埋もれてしまいます。ぜひ一度、大阪の町の歴史も学びたいところです。