NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。
筆者紹介
こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。
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第21話 旅立ち
弓矢を射かけた張本人である藤原伊周・隆家兄弟は京都から追放され、中宮・定子は髪を下ろし仏門へと入りました。
こうして藤原道隆の子、伊周、隆家ら兄弟たちと中宮定子ら、全ての子供たちは宮中から追放されることになります。
そのため、道隆の血筋はその後も政権中枢に誰一人として返り咲くことなく没落してしまいます。彼らの一族は「中関白家」…つまり結果的に、兼家から道長への「一時的な中継ぎ」という役割に甘んじてしまったのです。本来であれば、兼家から続く嫡流として、政権中枢を担うはずの一族でしたが…皮肉なものですね。
今回、定子に最後まで従った女御として、ききょう(清少納言)の姿が描かれました。
春はあけぼのやうやう白くなりゆくなりけりやまぎは…
清少納言による随筆「枕草子」はこの長徳の変の後で宮中から出された、元中宮・定子の心を慰めるために書かれたもの…という形で描かれました。
未だに定説はないものの…剃髪し心寂しい生活を送っていたはずの中宮・定子のために書かれた文章だと思うと…、そのもの悲しさを感じずにはおれません。
さて…父・為時に従って越前国へと下向することになったまひろ。
越前国は、現在の福井県の大部分。中でも、三国湊は、中国や朝鮮の来訪者が多くやってくる港町でもありました。地図で見ても、現在の北朝鮮辺りからの最短距離であるのことがよく分かります。三国湊は、景勝地として知られる東尋坊からも近い辺りですね。
また、そのまま海岸線を南下した越前敦賀の町は、渡来人である「ツヌガアラシト=角がある人」が開いた町としても知られています。戦前まで敦賀は、満州へ渡る港町としても栄えていたことからも分かります。
そんな、多くの渡来人たちがやってきた越前国守となった父・為時。まひろはこの地で…どんな風景を見て、どんな人と出会うのでしょう?
越前編も楽しみですね。