NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。
筆者紹介
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第20話 望みの先に
藤原伊周と隆家兄弟による、花山院襲撃事件、が、朝廷を大きく揺さぶっています。
これまで、天皇の側近として、また中宮の兄弟として傲慢の限りを尽くしてきた伊周と隆家兄弟。
その傲慢さゆえの反感もあったのでしょう。嫉妬心からの勘違いとはいえ、花山院の牛車に矢を射かけ、従者を惨殺した伊周兄弟は、厳罰に処されます。
いわゆる「長徳の変」による騒乱ですね。
かつては関白道隆の嫡男として、この世の春を謳歌していた伊周でしたが…ここにその命運は尽きます。
花山院の牛車に矢を射かけ、従者を惨殺したという罪は許されがたく…ふたりは都から追放されることになるのです。
藤原隆家は出雲権守へ左遷
この時代、一度出世ルートから外れたものが復権することはほとんどありません。あ。現在の官僚システムも同じようなものですね。
検非違使によって、伊周隆家の兄弟は追捕の対象となってしまいました。
このふたりの運命を…安倍晴明はこう言いました。
「隆家殿はいずれあなた様の大きなちからとなりましょう」
「伊周殿は…あなた様次第でございます」
長徳の変で大宰権帥に左遷されるが、妹である中宮定子が皇子を出産したことで復権。准大臣として朝議に参加するまでになります。
しかし、道長の娘彰子が一条天皇に嫁ぎ子を産んだことで立場はまたもや逆転。やがて37の若さで死去します。
大宰府配流後は、道長をよくサポートしていましたが、妹が皇子を産んだことが、逆に野心を再燃させたのかもしれません。
彼の死後、その子供たちはあまり恵まれず…嫡男・道雅は荒れに荒れ、荒三位と陰口を叩かれるほどでした。
長徳の変で、出雲へ左遷されるも、その手前の但馬国に留まっていた隆家は、東三条院詮子の大赦により政界に復帰します。
その後、兄伊周、姉定子の死により道隆の家系(中関白家)の運命は隆家の双肩にかかってきます。
しかし…眼病を罹患したことから、彼は自ら進んで九州大宰府への任官を望むようになります。大宰府には、大陸からやって来た名医がいたからというのが理由だそうです。
この、九州大宰府への任官が、彼の運命を大きく左右することになります。
彼が大宰府にて在任中に大事件が起こります。
これが「刀伊の入寇」といわれるもので、女真族と思われる侵略者が対馬・壱岐さらに博多へと侵入し、住民を虐殺、島を占領するという大事件でした。
大宰府の責任者であった隆家は、総指揮官としてこれを撃退。結果として異民族から日本を守った英雄となるのです。いやはや。人の運命とらどうなるものか…分からないものですね。