本来の意味では名古屋も岐阜も金沢も『関東』!
東京を中心とした平野部を関東地方といいますが…実は本来の意味の『関東』はもっと広いんです!なんと…原義的な関東には金沢市や名古屋市まで含まれる!?
筆者紹介
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『関東』『関西』とは?
日本の首都機能が集中する「東京」を中心に4300万人もの人口が生活する関東地方。名実ともに、日本の要となる地方ですよね。
普通、関東地方というと、以下の一都六県が含まれます。
徳川家康によって江戸に幕府が開かれてからは、実質的に日本の首都としての機能をを有する地方として、極めて重要な土地となりました。
そんな『関東地方』ですが…そもそも?なぜ「関の東」と書くのでしょうか?
同じような言葉に「関西地方」がありますよね。
関西地方は、一般的に以下の府県が含まれます。
この『関東』や『関西』という言葉。一般的に使われるのであまり意識して使っている方は少ないですが、実は古代日本を考える上で、とても重要な言葉なのです。
ちなみに、関西地方とよく似た言葉に「近畿」という言葉があります。近畿とは「畿内の近く」という意味合いで、畿内(都)であった大阪京都奈良の周辺を差し、具体的には滋賀県や和歌山県なども含んでいます。(※一般的に近畿地方には三重県も含みます)
『三関』とは?
古代日本は、奈良盆地を中心とした関西地方から発展しました。
古来より、現在の京都府大阪府と奈良県は、「畿内」として、国の中心地、都のうちと考えられてきました。
古代日本には、その畿内を守備するための関所が3ヶ所設けられていました。これは、都から逃亡する政治犯の追捕するための意味合いも強かったようです。
この3ヶ所の関所が「三関」と呼ばれるもので、畿内から伸びる北陸道、東山道、東海道にそれぞれ関所が設けられていたのです。これら3つの関所は、近畿の東端である近江国(現在の滋賀県)を出てすぐのところに作られました。
三関(さんかん/さんげん)
お!察しの良い方はもう分かりましたかね?
本来の『関東』とは関所の東側すべて!
そうなんです!『関東』という言葉の語源は、古代に設けられたこの3つの関所が由来なんです!
関東とは…呼んで字の如く「関所の東側」!
本来はこの「三関」の関所の東側全てを『関東』と呼んでいたのです!
先ほどの三関は現在の地名でいうと…
※現在は関所跡地は不明になっています
※関ヶ原の戦いが行われたあたりに関所がありました
※関は現在も宿場町が良く残されています
つまりですよ!?
金沢も!岐阜も!名古屋も!本来の意味合いでいえばみんな『関東』なんです!
現在でこそ、関東平野周辺の一都六県だけを「関東地方」としていますが、本来の意味を考えると、福井県、岐阜県、三重県より東側はすべて「関東地方」と言ってもあながち間違いではないんです。
ちなみに、『関東』と相対する『関西』という言葉は、古くからあまり使用されていませんでした。
この「関東」という言葉は、あくまでも当時の中心地である「畿内」から見た考え方です。元々が、畿内は「関所の内側」で、それより東側を「関所の外側」として考えられてきました。その当時の感覚でいえば、関所の内側である畿内周辺は自分達が生活している地域を「関中」「関内」と捉えていましたから、「関西」という概念は成立しなかったのでしょう。
その感覚に大きな変化が生まれたのが、鎌倉時代です。
源頼朝が鎌倉幕府を立て、政治の実権を握ったことで、政治の中心地が関所の東側、つまり関東へと移ったのです。
この時、武士たちが根拠とした場所を『関東』と捉えたことで、その対比地として、関所の向こう側=『関西』という概念が生まれました。
この感覚は、江戸時代になるとさらに強くなります。
江戸を中心とした関東平野の諸国を『関東』とする認識が広がるに従って、京都大阪のあたりを『関西』と捉えるようになったのです。
現在では一般的に用いられる『関東』『関西』という言葉。今でこそあまり意識されませんが…本来は、ちゃんと「関所」があり、その東側を『関東』、西側を『関西』としていたんです!