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【大河ドラマコラム】NHK大河ドラマ「光る君へ」第14話『星落ちてなお』

NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム】の記事をお届けしています。

 

 

第14話 星落ちてなお

遂に…天下人として位人臣を極めた藤原兼家が引退を決めました。

 

この時、後継者に定めたのは嫡男の藤原道隆でした。長男ですし、位ももっとも高いですからね。妥当な判断でした。

 

しかし。これに納得しなかったのが次男の藤原道兼です。

 

彼は、花山院の出家事件で暗躍した立役者。父・兼家の天下争奪にあたって、勲功第一の自負がありました。

 

そのため、兼家亡きあとの後継者には、自身が選ばれるはず…と思っていたようです。

 

関白・兼家の後継者に選ばれなかったことで…道兼は腐ります。それ以降、彼は御所に出仕することを辞めてしまいます。いわゆるボイコットですね。

 

こうして自暴自棄になった道兼は、父の喪中にも関わらず、酒色に溺れます。果ては、娘を産んだ奥方からも愛想を尽かされる始末。

 

さて、一族を栄華へと導いた藤原兼家は、自宅にてその生を閉じました。享年60才。

 

嘆きつつ ひとり寝る夜の  明くる間は いかに久しき ものとかは知る

 

病床で兼家が口ずさんだこの歌は、彼の妾のひとり、蜻蛉日記の作者でもある藤原道綱の母が詠んだ歌です。百人一首にも収録されていますからご存じの方も多いでしょう。

 

藤原兼家の亡き後、跡を次いだのが嫡男・道隆。

 

彼は、生きている当時からあまり評価が芳しくありませんでした。

 

その要因が、露骨すぎる身内贔屓です。

 

その最たるものが…わずか17才という若年にも関わらず、蔵人頭に抜擢した、自らの長男・伊周の優遇でした。

 

人物紹介 藤原伊周

藤原道長の人生で最大のライバルとなったのが、兄・道隆の子であり、自身の甥でもある伊周です。

 

道長は康保3年(966年)生まれ

伊周は天延2年(974年)生まれ

 

叔父甥の関係とはいえ、わずか8才しか離れていません。

 

父・道隆の摂政就任を期に、彼の官位は飛躍的に高まります。

 

正暦元年(990年)、右近衛中将蔵人頭

正暦2年(991年)、参議に任ぜられて公卿に

さらに同年中に従三位中納言に昇進

正暦3年(992年)、正三位権大納言

さらに同年中に内大臣

 

しかし…長徳元年(995年)、父・道隆が急死したことで、彼の運命は急転します。

 

父・道隆の死後、関白の座は叔父である道兼に引き継がれますが、その道兼もわずか7日後に死去。

 

そして…その後の関白位をめぐって熾烈な争いをしたのが、藤原道長藤原伊周の叔父甥ふたりだったのです。

 

この激しい政争の様子は、おそらく今作でも詳しく描かれることになるでしょう。

 

この争いを制したことで…藤原道長は権力の絶頂期を迎えることになるのです。

 

前回です

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