【ブラタモリ】『奈良・正倉院~なぜ1300年もお宝を守れた?』視聴レポート!
不定期土曜日連載!【ブラタモリ】視聴レポートをお届けします!今回のブラタモリ!テーマは『奈良・正倉院』です!
筆者紹介
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なぜ1300年もお宝を守れたのか?
奈良東大寺にある「正倉院」が今回のテーマです。この正倉院が作られたのは奈良時代。平城京を作った聖武天皇の遺品を集めて保管したのが始まりとされています。
今回、改めて驚かされたのが…あれだけ宝物を保管していた『正倉院』って、わずか1棟の倉だったんですね。もっと何棟かに分かれた巨大倉庫かと思っていました。
この『正倉院』は、木製の倉庫です。コンクリート製のシェルターでもないのに…1300年も昔の宝物を保管していたということ自体がもはや驚異的ですよね。
なにせ、ここ日本は高温多湿という…文化財にとって過酷な環境です。そんな環境の中、金属製品はもとより、木製品や紙製品までも、元の形状のまま保管してきたって…もう神業とも思える所業です。いやほんとスゴい。
国宝はひとつもない!
そんな、日本国が誇る宝物を保管してきた『正倉院』ですが、これも驚き!なんとその保管物に「国宝」や「重要文化財」に指定されているものはひとつもないのです!!
元々、「国宝」「重要文化財」は、その貴重な文化財を散逸させないために作られたものなんです。
この『正倉院』に保管されている宝物は、全て天皇家の所有物。その管理は宮内庁が担っています。つまり、ハナからその宝物は散逸される恐れがないということ。そのため、『正倉院』で保管されてきた宝物は、ひとつも「国宝」「重要文化財」には保管されていないのです。
とはいえ?「国宝」「重要文化財」には、その価値を保証するという側面もありますから…どこかできっちりと文化財指定してもらった方が良いとも思います。まあ…国宝だらけになりそうですけどね(笑)
『正倉院』は校倉作り(あぜくらつくり)
『正倉院』は建築物としても価値が高いものです。作りは「校倉作り」というもので、三角形に加工された柱を井桁に組み合わせて作られた高床式のものでした。
『正倉院』の宝物が現代まで残った要因のひとつが、『正倉院』そのものが木造建築であったことも関係しているようですね。木材は、温度湿度の維持で高い性能を有しています。湿度が高ければ木材がその湿度を吸収し、湿度が低ければ湿度を放出して文化財を守る。そのおかげで…貴重な宝物をそのままの姿で守ることができたんです。
また、宝物を保管していた杉製の宝物箱も重要だったようです。
この宝物箱は徳川家康が寄進したものも現存しているようです。宝物箱の蓋には徳川家康が贈ったことが墨書されています。
番組で開けられた宝物箱には奉行名が書かれていましたが…これも興味深いものでした。
- 本多上野守
- 大久保石見守
本多上野守とは、おそらく本多正純。
大久保石見守とは、こちらもおそらく大久保長安。
徳川家康が開いた江戸幕府の初期を支えた重臣です。(上野守は皇族しかなれないはずですが)
内部のものは全てが宝物!
ここ『正倉院』の勅封といって、天皇の許可なしでは扉を開けることすら許されない特別な空間でした。
織田信長によって切り取られたことで有名な香木「蘭奢待」。信長がこの「蘭奢待」を切り取ろうとした時も、東大寺は天皇家の勅令がないということで断っているほどです。
江戸時代には、その240年の歴史の中でわずか6回しか開けられていないというから…扉の管理も厳重だったんでしょうね。
『正倉院』の内部は全てがお宝!筆者も今回初めて知りましたが…内部に侵入した害獣(テン)のミイラや、箱の底に貯まった埃(塵芥)すらも貴重な資料になるようです。
現在も『正倉院』を管理する職員さんが、そんな塵芥を分別し、管理研究に活かしているんですね。
世界的にみても、1300年前の貴重な文化財が残されているというのは、奇跡にも近い功績です。
しかも…金属製品だけでなく、木製品や紙製品までもそのままで保管してきた『正倉院』。よはやそれだけでも…日本の誇りであるだけでなく、全人類の宝かもしれません。