【ブラタモリ】『鎌倉の寺~北条氏の寺で分かる鎌倉幕府の偉業とは?』視聴レポート!
不定期土曜日連載!【ブラタモリ】視聴レポートをお届けします!今回のブラタモリ!テーマは『鎌倉の寺』です!
筆者紹介
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北条氏寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは?
タモリさん一行が訪れたのが鎌倉。今回のテーマは「鎌倉の寺」でした。
建長寺は数少ない元号寺院
まずはじめに訪れたのが、鎌倉市街地の北に位置する建長寺です。
実はここ「建長寺」は、日本の元号をそのまま寺名にしたという、非常に稀少な寺院です。いわば、「昭和寺」「平成寺」「令和寺」と同じような扱いです。
年号をそのまま寺名にした寺院というのは、全国的にも数少ない、極めて格式が高い寺院です。
後世に年号を冠して作られたものもありますが…それらは例外として、本来、元号をそのまま寺名にするには、皇室の勅許があってはじめて名付けることができるものでした。
代表的な年号寺院がこちらです。
建長寺は、これら、日本を代表する寺院と肩を並べる、超一級品の寺院なんですね。
ここ建長寺は、中国より僧を招いて作られた、鎌倉幕府勅願の禅寺です。
実は、ここ建長寺から始まったとされる日本文化があります。それが…日本庭園。
京都などに数多く作られた寺院庭園ですが、これらは、寺院の裏側に庭園が作られているのが特徴です。
そんな、寺院庭園のひな型ともなったのが、ここ建長寺の庭園とされているのです!
実は、京都の日本庭園の祖ともいわれる夢窓疎石も、ここ建長寺で修業をしています。ここで学んだ庭園技術を京都へ持ち帰り、数多くの寺院庭園を作庭しました。
寺院庭園といえば、京都が本場とされていますが…意外や意外!その庭園のはしりは、鎌倉にあったんですね!
あ。そうそう。具だくさんの汁物である「けんちん汁」も、ここ建長寺発祥と紹介されていましたね。
具材を油で炒めるという調理方法も、このけんちん汁から始まっているらしいですよ!
極楽寺は日本各地の聖地を集めた宗教都市!
続いてタモリさん一行がやってきたのが、長谷にある「極楽寺」です。
今回、筆者も初めて知りましたが…ここ極楽寺一帯は、日本全国の神社や寺院を集めた、宗教都市だったようなんです。
現在は、その規模はかなり縮小されていますが…ここ極楽寺は、西日本各地の聖地を模して移した形跡があると考えられています。
などなど!
これらは、鎌倉時代に日本を揺るがした大事件が経緯になっているそうです。
それが…元寇!
鎌倉時代にやってきた、元(モンゴル帝国)からの侵略戦争です。
この元寇、現在でこそ、鎌倉武士たちの奮戦により撃退したと捉えられていますが、当時を生きていた人々にとっては、日本という国が滅亡するかどうかの瀬戸際でした。
現に、二度に渡る元寇を撃退した後も、第三次出兵計画が元では計画されていたといいますから…。
鎌倉幕府は、西日本の侵略占領も覚悟していたようで、そんな事態になる前に…と、西日本各地の聖地をここ鎌倉に集めたようなんです。それこそが極楽寺の役割だったんですね。
金沢文庫は今でいう国会図書館!
その金沢文庫は、鎌倉執権の一族である金沢北条氏が治めた土地です。
金沢北条氏は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の主人公、北条義時の五男から始まる分家筋です。
この一族は、鎌倉の外港である金沢湊を守護する役割を担っていたようで、大陸からの書物にも多く触れていたようです。
そんな金沢北条氏が集めた書物を保管していたのが「金沢文庫」で、その所蔵品11万点のうち、2万点が国宝に指定されているとか!
それだけでなく、ここ金沢文庫で保管されていた貴重な書物は各地に散逸してしまっているようで、国内外には金沢文庫から持ち出されてしまった多くの書物が保存されているといいます。
中には、中国で書かれた文書の写しが、すでに本場の中国でも失われており、世界中でもここ金沢文庫にしか残されていないという超貴重な書物多いとされています。
タモリさんも指摘していましたが…本場中国や京都奈良では、そこまで熱意を傾けて写本を残さなかったかもしれません。
ここ鎌倉という…当時の日本では辺境の地だったからこそ、丁寧に写本にうつし、大切に保管されたのかもしれません。
鎌倉幕府滅亡とともに失われた「古都・鎌倉」。源氏や北条氏といった為政者たちが、中国や京都から集めた文化に憧れ、大切に保管したからこそ…現代にまで伝わった貴重な文化財たち。
現在の我々が、そんな文化に触れることができるのも…彼ら鎌倉武士たちのおかげかもしれませんね。
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