桜島噴火の恐怖を実感!深さ3mの鳥居がここまで埋まる災害の遺産『黒神埋没鳥居』へ!
鹿児島県鹿児島市桜島。島全体が、今も噴煙を上げる活火山です。そんな桜島の一角に…その噴火の恐ろしさを実感できるところがあります。
筆者紹介
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『黒神埋没鳥居』とはどんなところ?
鹿児島の象徴・桜島。錦江湾のど真ん中に浮かぶこの島は、島そのものが活火山として、火口からは、現在も空高く噴煙が上がっています。
島のあちらこちらには、ご覧のような待避壕が作られ、いつ何時大噴火が起こっても、待避できるよう備えがされています。
そんな桜島の東海岸・黒神地区には、噴火の恐ろしさを現代に伝える災害遺産が残されています。それが、今回ご紹介する『黒神埋没鳥居』です。
大正3年、桜島が大噴火を起こしました。この噴火は、20世紀以降日本における最大の噴火災害と言われています。
1914年(大正3年)1月12日に発生した桜島の大正大噴火は20世紀以降、日本で起きた火山噴火の中で噴出物量が最大であったこともあり、桜島全域で甚大な被害が出た。神社の所在する黒神集落では246戸のうち197戸が消失し、軽石や火山灰によって埋没する被害を受けた。
噴火の予兆として黒神では1月3日に井戸水が増加し9日には水が溢れ出ていることが確認されており、爆発の3日前となる同月9日ごろから地震が発生するなど予兆があったことから前日の11日までに800人が桜島から離れていた。爆発当日の早朝には1,500名程が避難準備を済ませて海岸から対岸の大隅半島にある牛根村(現在の垂水市)への避難を開始していた。また、瀬戸は11日までに老人や女性・子供は全員避難が完了し、爆発時点では全員が避難を完了していた。
12日午前8時から午前9時の間に爆発が発生した。黒神では避難のため船へ乗船中であったが、動転した船の船頭は30人ほどを積み残し沖へ出港した。これにより溺死した者2名、残留不明者4名の犠牲があった。また、避難先の牛根村では4名が行き倒れとなった。黒神に駐在していた巡査である前田は「九時ごろからして、南の御岳から三ヶ所、又黒神からは、自分の正面に当るところに、元の噴火口から白煙が少しづつ見えた。それと同時に南の御岳の砂石が崩壊したのが見えた。」と語っている。爆発後の午後11時には黒神方面の家屋が焼失したとされ、正午には瀬戸も焼滅した。
翌日の1月13日には、火砕流が桜島東側に流出したことによって、幅360メートル水深75メートルであった瀬戸海峡が埋められ、1月30日にはそれまでの瀬戸海峡は地峡となり大隅半島と陸続きになった。これによって瀬戸集落は完全に埋没し、全滅した。黒神集落においても246戸のうち197戸が消失し、軽石や火山灰によって埋没するなど甚大な被害を受けた。
これが…大正桜島噴火です。
『黒神埋没鳥居』へのアクセス/駐車場
『黒神埋没鳥居』は、桜島の東海岸に位置しています。鹿児島市内からは、桜島フェリーに乗り、桜島港から車でおよそ30分。路線バスの場合は港から45分ほどかかります。
鹿児島空港や大隅半島地域からアクセスする場合は、垂水市内から桜島に直接車で乗り入れることも可能です。鹿児島空港からおよそ60分ほどです。
桜島の東海岸に伸びる県道を走っていると、海側に無料駐車場が設けられています。近くには民間の有料駐車場もありますので、ご注意ください。駐車場の目印は、鹿児島市立黒神中学校の道路を挟んだ真向かいです。駐車場にはトイレもあります。
『黒神埋没鳥居』の見どころ!
ここ『黒神埋没鳥居』を初めて訪れた方はびっくりされるはずです。なんと、本来高さ3mはあるはずの神社の鳥居が…上部1/4を除いて地中に埋まっている!
これは、大正時代に起きた桜島の大噴火「大正桜島噴火」の際に流れて来た火山灰によって、現在の姿のように埋まってしまったのです。入り口にある資料には、埋まった当時の写真が掲げられていますが…これには言葉を失います。もしも、そこに人間が巻き込まれていたら…2mを超える火山灰によって、完全に生き埋めにされてしまったことでしょう。
埋まった鳥居のすぐ近くまで寄ることができますが…まさか鳥居を上から見下ろすことになろうとは!根元の方は完全に地中に埋まっています…。これ、大正噴火のその日たった1日で埋め尽くされたというから驚き!
その後、住民らは地中に埋まった鳥居の悲惨な姿を憐れみ、掘り起こそうとしましたが、当時の村長による英断で、現在のように埋もれたままの姿で保存されることが決まりました。これは、桜島噴火の脅威を後世に伝えるためだったと言われています。現在では、神戸市の阪神淡路大震災メモリアルパークなど、各地で自然災害の爪痕をそのまま残す取り組みがなされていますが、その先駆けとも言える保存でした。
観光客の多くは、ここで地中深く埋まった鳥居だけ見て引き返してしまうのですが…ここに鳥居があるということは、この地にはちゃんと神社も残されています。鳥居を過ぎて、ほとんど中学校の敷地内のような路地を進むと…
こんもりとした森の中に、小さなお社が現れます。こちらが「腹五社神社(黒神神社)」です。いつ噴石が飛んでくるか分からない桜島ではスタンダードな様式ですが、厳重なコンクリートの覆い屋で囲われています。ぜひともこちらのお社まで足を運んでいただき、参拝されることをおすすめします。
昭和溶岩地帯(黒神ビュースポット)
『黒神埋没鳥居』から北へ車で2.3分走らせると、もうひとつのスポットが見えてきます。こちらは「昭和溶岩地帯」で黒神ビュースポットとも呼ばれるポイントです。
ここは、1946年に起きた昭和噴火の際にドロドロに溶けた溶岩が流れたところ。現在は枯れた川のようにV字溝が掘られており、その先には噴煙上げる桜島がよく展望できます。
眼下は真っ黒な岩と砂の世界。そして橋の欄干はご覧のようにびっしりと錆び付いています。これも…日常的に降り続く火山灰による影響でしょうか。現在も小規模な噴火を繰り返している桜島。なす術なく放置されている錆びた欄干に…人間の無力さが感じられるスポットでした。
さて、桜島の『黒神埋没鳥居』の見学を終えて、島の西側にある垂水市へと戻って来ました。
実はここ「桜島口」の一帯はかつては海!桜島と大隅半島を分ける海峡が横たわっていました。現在でこそ九州本土と繋がっている桜島は、大正大噴火の前までは、周囲を海に囲まれた離島…本当に島だったんです!
その離島だったはずの桜島ですが、大正大噴火の際に、火口から溶岩が桜島東側へ流れ込み…なんと対岸の垂水市と接続!現在のように陸地として繋がる形になったのです。まさに、地図を変えるほどの大自然の脅威!桜島が秘める大地のパワーに戦慄する思いです!
そんな桜島は、現在でも噴煙を上げ続けています。かつて1日にして2mもの火山灰に覆われた『黒神埋没鳥居』は、現在に生きる我々にも、その脅威をまざまざと伝えてくれています。
【秋の南九州旅行記】3日目。この日は日南市からスタートして大隅半島をドライブしています。桜島へ立ち寄った後は、その桜島を眺める絶景足湯へ移動します。次回もお楽しみに!
『黒神埋没鳥居』の基本情報
アクセス
桜島港より車で30分
鹿児島空港より車で60分
営業時間
24時間立ち入り自由
定休日
年中無休
見学料金
無料
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
099-293-4333(桜島観光案内所)