NHK大河ドラマ『どうする家康』コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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第2話 兎と狼
桶狭間の戦いにおいて、今川方の一武将として出陣した松平元康(のちの徳川家康)。満を持して全軍を投入した今川軍を打ち破り、織田信長は起死回生の勝利を手にしました。
家康の生まれ故郷三河国は、東の大国今川氏と西の新興勢力織田氏の勢力の狭間にある小国でした。弱小領主の松平氏は、独立して三河一国を保つだけの力はなく、今川か織田か、どちらかに付かねば家を保つことができませんでした。
このような情勢のなか、家康の父・松平広忠は、今川の勢力下に着くことを決断。幼少の家康を駿府の今川のもとへ人質に送ることを決断します。
しかし、駿府へと送られる寸前…船出する港の領主・戸田氏の裏切りにあい、幼い家康は織田氏のもとに送られてしまうのです。そのため一時期、家康は織田の若君、信長と親交を結んでいたと思われます。
家康が織田のもとにいたのは、わずか数年と言われています。織田と今川の間で結ばれた人質交換の結果、やがてその身柄は駿府の今川のもとへ送られるのです。
その後家康は、駿府で青年期を過ごします。彼は、幼い頃から尾張、駿府で過ごしていたため、生まれ故郷の三河国の記憶はほとんどありません。温暖で気候も良く、教養高い今川氏の一族に囲まれて生きる方が、家康にとって居心地が良かったのでしょう。
生粋の三河人である本田平八郎忠勝などは、三河の土地と三河人を愛さない家康を認めようとしませんでした。
桶狭間の戦いのあと、家康は決断を迫られます。尾張の奥深く進んだ最前線である大高城で、織田と戦い討ち死にするか、今川の本拠地駿府へと逃げ帰るか。
しかし…家康はそのどちらも決断しませんでした。彼が選んだのは…生まれ故郷・三河への帰還。松平氏の本拠地である、岡崎城に入ることとしたのです。
これは、一歩間違えば国を滅ぼす悪手になりうるものでした。東には今川、西には織田。双方から攻められ刈り取られ、国は蹂躙される可能性すらあったのです。いや、むしろその可能性の方が高かったとも言えるでしょう。
果たして家康はこの後…どのように国を保ち、松平の家を守っていくつもりなのか?
今作では、これまでになく弱気で頼り甲斐のない殿様として描かれている徳川家康。これから、天下人になるまでどのような道のりを歩むのか?次回も興味深いところですね。
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