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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第9話 頼朝の反攻始まる!富士川の戦いはターニングポイント!

こんばんは!旅人サイファです!

NHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラムをお届けします。

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ついに頼朝の反攻が始まりました!

房総半島で再起の旗を挙げ、鎌倉へ入った頼朝率いる源氏軍。ここから一気に反転攻勢!京の都から差し向けられた平家の追討軍を、駿河富士川で迎え撃つことになります。

 

この段階では、各地の源氏の血筋が「我こそが源氏の棟梁である!」と正統性を主張しあっていました。そのうちの一人が甲斐の武田信義でした。

 

この武田信義は、源義家の弟・義光から続く名門。今回名前の出てきた常陸の佐竹も同族です。彼らも、源氏の棟梁として立つ資格があるとして、あわよくば源氏の大将に成り上がろうとしている者たちです。

 

この一族間の功名争いの相克が、頼朝に与えた影響は大きかったかも知れません。一族でさえも心からは信用できない。そんな頼朝の人間性は、こういったエピソードから形作られたとも言えそうです。これが、やがて有力な味方になったかもしれない木曽義仲を追討し、弟たち(範頼、義経)をも討つ遠因になっていたとも言えるでしょう。

 

さて、富士川の戦いは、水鳥の羽ばたきを敵襲と勘違いして平家軍が撤退したために不戦勝になったと伝わります。戦時におけるプロパガンダかもしれませんが、武者にあるまじき平家の臆病として、戦いの帰趨は大いに源氏方に傾くことになります。そもそも、坂東武者が頼朝を担いでいたのは武士の地位向上と所領の保全のため。

 

戦わずして逃げるという、武士らしからぬこの態度が、平家の貴族化の象徴として喧伝され、平家への求心力は著しく損なわれます。ある意味、この時の平家軍の態度が、源平合戦の大局を左右したとも言えそうです。

 

そして、ついに兄・頼朝と対面を果たした九郎義経!やがて時代を動かすキーマンの一人が…ようやく頼朝軍に合流しました!

 

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