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『城山展望台』は雄大な桜島を眺める絶好スポット!【秋の鹿児島旅行記】⑨

こんにちは!旅人サイファです。

今回も【秋の鹿児島旅行記】からの記事をお送りします。

 

鹿児島市の中心地にある島津家の居城「鶴丸城」から、その後背にある「城山展望台」に向かいました。
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いかがですかー!この秋晴れに映える桜島雄大すぎて震えました!

この日も噴煙を上げているのが良く分かりますね。

 

鶴丸城」の表門のすぐ裏手から、城山へ昇る車道が伸びています。
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くねくねと曲がりながら車を走らせること5分ほどのところに「西郷洞窟」があります。


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ここは、明治10年に怒った西南戦争で、総大将・西郷隆盛が籠った洞窟です。

明治新政府による武士階級への特権剥奪政策に不平を持つ旧士族に担がれた西郷隆盛は、ここ鹿児島で挙兵。海路長崎へ、陸路熊本へ向けて進軍しました。しかし、明治政府軍の近代兵器の前に目的を果たせず各地で敗戦を繰り返し、鹿児島まで撤退してきました。


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おはんらにやった命

明治10年9月24日、午前4時政府軍の城山総攻撃が始まりました。城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余。これを囲む政府軍は、何重もの柵をめぐらし、その数4万。死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間すごしたこの洞窟出ました。

(中略)

ゆっくりお岩崎谷を下りる西郷。その時流れ弾が西郷の腰に命中。別府晋介介錯をあおいで49歳の生涯を閉じたのです。

 

西南戦争というのは、不平士族の反乱のあいつぐ中、西郷を慕う私学校の生徒たちが、政府の挑発によって引き起こした暴動が始まりです。首謀者の引き渡しか全面戦争か、その結論を出したのは「おはんらにやった命」という西郷の一言でした。

(中略)

7ヶ月にわたる大乱の最後を、西郷は故山城山で迎えたのです。


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さて、西郷洞窟のさらに先に車を走らせると、城山の頂上部にある展望台へたどり着きます。展望台入り口には無料駐車場がありますので、ここに車をとめて展望台まで歩きます。また、路線バスのバス停もここにあります。


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展望台までは駐車場から徒歩で7-8分ほど。整備された歩きやすい遊歩道が伸びています。

展望台前は広場になっており、ベンチはたくさんの観光客で賑わっています。


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展望台からの眺めがこちら。

眼下に鹿児島の市街地と、その先に雄大桜島!鹿児島を代表する風景ですね!


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桜島の浮かぶ錦江湾は、姶良カルデラという大きな噴火口でした。三万年ほど昔に起こった大噴火の際、地下にあった大量のマグマが地表へ噴出され、この辺りの地盤が沈下。その窪地に海水が流れ込んだことで、現在の錦江湾が生まれました。

桜島は、そんな姶良カルデラの南の端に作られたマグマ溜まりが島となったものです。

元々、陸地から切り離された離島でしたが、大正6年に起こった大噴火で流れ出した溶岩によって、大隅半島と陸続きになった経緯があります。

 

ザ!鹿児島!とも言える『城山展望台』からの風景。雄大桜島には圧倒されますよ!

この風景は一見の価値あり!…ぜひいらしてみてください!

 

絶景100選にも登場!

 

城山展望台

アクセス

九州自動車道 鹿児島北ICより15分

JR九州新幹線 鹿児島中央駅より路線バス

 

営業時間

24時間立ち入り自由

 

定休日

年中無休

 

入場料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

ドレス

鹿児島県鹿児島市城山町22

099-298-5111

 

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