皆さんこんにちは!旅人サイファです。
昨日に引き続き、昨年秋に訪れた【秋の鹿児島旅行記】からの記事をお送りします!
日当山温泉に宿泊した翌朝は、朝イチで『鹿児島神宮』にご挨拶に向かいました。
『鹿児島神宮』は、鹿児島県の東半分である旧大隅国の一宮さまです。夏休みに対馬一宮や壱岐一宮にも訪れた際の記事を書いていますので、当ブログの読者さんにはお馴染みかもしれません。
全国を66ヶ国に区分していた律令国(旧国)全てに置かれていた、その国の中で最も格式高いとされる神社です。
鹿児島県と言えば「薩摩藩」=全てが「薩摩国」と思っていらっしゃる方も多いですが、実はその6割は大隅国。薩摩国は西側4割程度でしかありません。しかも、鹿児島県の由来となった「鹿児島」とは、大隅国に含まれる「桜島」のこと。そしてここ『鹿児島神宮』も大隅国の一宮です。
島津家の居城があった場所や現在の県庁所在地こそ鹿児島市ですが…むしろ大隅国の方が主要なのではないか?とも思われるほどです。
『鹿児島神宮』は、薩摩国と大隅国のちょうど中間点、霊峰・霧島山から南に下ったところに鎮座しています。
ご祭神は「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」通称・山幸彦です。
山幸彦は、海幸山幸神話の主人公。天照大神の曾孫です。彼の父はニニギノミコト、彼の子がウガヤフキアエズノミコト、孫が初代神武天皇になります。つまり、天照大神と神武天皇を繋ぐ、天皇家の祖先神のひとりなんですね。
日本神話では、山幸彦は筑紫島(九州)の高千穂宮に580年居住したとされていますが…実はそれがここ!現在の『鹿児島神宮』の地と言われているのです!
境内は本殿に向かってゆるやかに登っていきます。境内中央には、幹回り6mとも言われるクスノキの大木が姿を現します。これはここ鹿児島神宮のご神木ともされる大木。樹齢およそ800年とも言われています。
なんと鎌倉時代から…この地を見守っているんですね。
筆者が訪れた時は、拝殿本殿は改修中のため一部は覆いに囲まれておりその全貌を拝見することはできませんでした。しかし、桧皮葺の重厚感は素晴らしい!この拝殿および本殿は、鹿児島藩主島津家二十四代・島津重年公によって再建されたものと言われています。
前述したように、『鹿児島神宮』の御祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、天照大神直径の子孫です。天照大神の系統は以下のように九州を南下そして日向海岸へ向うように順繰りに祀られています。
↓
↓
↓
↓
そして神武天皇はやがて海を超え、大和朝廷樹立の道をスタートさせるために旅立った…とされています。
さて、『鹿児島神宮』への参拝を終えて、次の目的地に向かおうと車に乗り込みました。
が、地図上に興味深い表記があるのを見つけました。この奥にも神社が…ある?
鹿児島神宮のさらに奥、車で1.2分のところにみつけたのが「石體神社(いわたじんじゃ)」そして…「卑弥呼神社」!?
まずは右手、「石體神社」さんにお参りします。よくよく調べてみると、どうやらこの地こそが元来の鹿児島神宮があった場所!
そして神代に山幸彦とその妻・豊玉姫が生活した「高千穂宮」のあった場所のようです。森に囲まれた社殿は、とても神聖な空気感!
こちら「石體神社」は、姫が子供「ウガヤフキアエズノミコト」を産んだ場所でもあります。このお産は、鵜の羽を使って産屋の床を作り終える前に産まれるほどのスピード安産だったようです。この事から、安産の神様として地元では大人気のよう。
戌の日には、安産祈願のご祈祷を受けられるとあって、行列ができることもあるとか?
ちなみに本殿脇には、安産守りの御石が置かれています。安産祈願する参拝者は、ここから自由に石を持帰って良いとのこと。そして無事に子供が産まれた後で、どこか川で拾ってきた川原石と一緒に、倍にしてお返しする風習のようです。
さて「石體神社」への参拝のあと、通りを挟んですぐお隣の「卑弥呼神社」へ。
ここは、日本で唯一とされる、邪馬台国の女王卑弥呼を神として祀る神社です。
境内には高さ2mほどはあろう巨大な卑弥呼像も祀られています。
なぜここに卑弥呼が?と、いうと、①邪馬台国がここ霧島に比定されるという説、②卑弥呼と争った卑弥弓呼が鹿児島神宮と関係が深かったとされるから…の2説があるようです。まあ、この神社自体が昭和50年代に建てられたもののようなので…事の真偽は不明ですがね(笑)
神武天皇の祖父である、山幸彦を祀る『鹿児島神宮』周辺は、まさに神話の世界その地に建つ、由緒正しい神社です。ぜひ一度お参りにいらしてください!
アクセス
東九州自動車道 隼人西ICより10分
営業時間
24時間自由
ご祈願は8:30-17:0.
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
無料駐車場 350台
アドレス
0995-42-0020
次回です
前回です