こんにちは!旅人サイファです!
本日も【秋の鹿児島旅行記】からの記事をお送りします。
鹿児島神宮の参拝を終えて、JR隼人駅近くまで車を走らせたところで…奇妙なものを発見しました。なんだ?あれ?…車を降りて近くまで行ってみましょうか。
それがこちら。
なんだろう?塚?古墳?案内板を見ると『隼人塚』と書かれています。かつてこの辺り一帯を拠点に根付いていた民族「隼人族」の関連遺跡のようですね。
こんもりと盛られた土の上に、五重の石塔が三本。そしてそれらを取り囲むように、四天王らしき石像が4体。どこかもの悲しい雰囲気を見せる古墳です。
JR隼人駅からは徒歩でも10分ほど。日豊本線の線路のすぐ脇にあります。撮影していたらちょうど特急列車が走り抜けていきました。
敷地内には資料館も併設されていましたので、立ち寄ることにしました。そもそも…隼人とは何者だ?
資料館の内部は隼人族の関連資料がたくさん展示されています。
最も有名なのがこの「隼人の盾」!どこかおどろおどろしい、オカルトな雰囲気を持つ盾ですが、この盾、なんと奈良平城京の井戸跡から発掘されているんです!実は、ヤマト朝廷は、隼人を天皇の親衛隊として使役していたようで、精悍な武力と共に、呪力でも天皇を守っていたのかもしれません。
隼人とは、九州南部に土着していた民族とされています。その由来は現在も定説がなく、「犬のように吠える人」、「ハヤブサのように素早い人」、また単純に「南に住む人」といった説が唱えられています。
吠えるといえば…薩摩藩士が気合いを入れる際に「ちぇすとぉぉぉっ!」と叫ぶシーンをテレビで見ますが、アレなんかはまさに「吠える人」ですよね。薩摩人は現在も自分達を「薩摩隼人」と自称しています。非常に勇敢で猛々しいイメージです。
伝説によると、鹿児島神宮の御祭神である「山幸彦」と争った「海幸彦」の子孫が、この隼人の祖先であるとされています。海に生きた海人族のことを…隼人としたのでしょうかね?
隼人について、こちらの資料館ではこのように定義していました。
隼人とは、古代(7~9世紀)において、南九州に居住していた人々のことを指します。当時、朝廷は全国を律令(法律)による支配を進めていく中で、東北の蝦夷のように、独自の文化を持って、すぐには支配に従わなかった人たちです。そのため、朝廷は南九州に居住している人たちを一括りに「隼人」という民族として政治的に設定しました。
(中略)
その始まりは、朝廷で天皇の権力かわ強化されてきた天武天皇の頃からです。その後、朝廷による支配が南九州に浸透していくと、隼人という呼称は無くなっていきます。
なるほど。「隼人」という名称は、あくまで大和朝廷側が設定した総称であって、彼ら自身が自ら名乗ったものではないようですね。
そして、東北の蝦夷と同じように、朝廷の支配に「まつろわぬ人々」として、敵視されて来た歴史を持つ人々なのでしょう。
筆者は、ヤマト朝廷=天皇家とは稲作による支配のために自然発生した組織だと考えています。
「民衆はみな水田を作り稲を植えコメを納めよ!それに従わないものは蛮族として征伐する!」
しかし、東北は冷涼な気候のために、また南九州は火山台地であるために、コメ作りには適しない土地でした。コメ作りをしたくてもできない人々や、コメ作り以外の生活を選んだ人々を朝廷は、蝦夷や隼人と名付け「まつろわぬ人々」として迫害したのではないでしょうか。
西暦720年、隼人は大和朝廷に対して大々的な反乱を起こします。が、結果的に、大伴旅人率いる征隼人将軍の軍勢に反乱は鎮圧されてしまいます。
ここ『隼人塚』は、そんな隼人たちの鎮魂のために作られた施設かもしれませんね。
隼人塚史跡館
アクセス
営業時間
古墳は24時間見学自由
史跡館は9:00-17:00
定休日
毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)
年末年始
入館料金
一般150円 高校生以下80円
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
0995-43-7110
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