こんにちは!旅人サイファです!
今回も【対馬壱岐旅行記】より対馬の中心地「厳原」の散策を続けます。
町の中心に位置する『厳原八幡神社』は、数々の伝説に彩られた、歴史ロマン溢れる素晴らしい神社でした。
前回ご紹介した藩校日新館から城下町遺構を眺めながら南下すると、厳原八幡神社へたどり着きます。正面に2本の鳥居が並ぶ珍しい形式ですね。
社伝によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途、ここ対馬清水山に行啓し、この山は「神霊が宿る山」として天神地祇を祀ったのが始まりとされています。その後、天武天皇の命により社殿を造営して八幡神を祀り八幡宮と称されるようになりました。
ここは、背後に清水山を背負った斜面に作られています。
右手の石段を上ると神門が見えてきます。
本殿はそれほど大きくはありません。素朴な造りが素晴らしい雰囲気を出しています。
対馬には、北部の上県郡と南部の下県郡にそれぞれ八幡神社が鎮座していたと言われています。上県郡の八幡神社が、二日前に参拝した「海神神社」、そして下県郡の八幡神社が、ここ『厳原八幡神社』と言われています。
やはりここでも、八幡信仰の興りは対馬とも伝わっていますね。
境内にはいくつか境内社が併せて祀られていますが、その中に興味深いものが。
こちらは「天神神社」。なんと…檀ノ浦の闘いの最中で亡くなったとされている安徳天皇が祀られている神社です!
安徳天皇(当時8歳)は、檀ノ浦の戦いで敗れた後、密かに九州へ逃れ、さらに対馬へ逃れてこの地で崩御したとも言われているのです!
さらにはその安徳天皇の子孫が、対馬島主宗氏の祖になったとも!?(さすがにそれはないか)
天神神社
祭神 安徳天皇
源平の戦乱を避けた安徳天皇は、都を出て九州に潜伏す。さらに九州から対馬の地に逃れ、久根村大内山皇家の地に遷居す。やがてここ対馬の地で崩御し、ここ厳原八幡神社の境内に神祠を作り天神神社と称す。
またもうひとつ…。
こちらは「今宮若宮神社」。対馬島主・宗氏の歴史を語る上で外せない、小西マリアを祀る神社です。
朝鮮出兵を画策していた豊臣秀吉の意図によって、小西氏と対馬島主・宗氏の結び付きを強化するために、宗義智の元へ嫁いだとも言われています。
関ヶ原の戦いで西軍主力として戦った父・小西行長が処刑された後に離縁され、対馬から追放されました。そして長崎で寂しく信仰生活を送った後に死亡しています。
今宮若宮神社
祭神 小西夫人マリア
小西夫人マリアは小西行長の長女として生れ、天正18(1590)年15歳で宗義智婦人として金石城へ入った。
マリアは信仰心厚く義智をも入信させた。関ヶ原の戦後小西家滅亡と共に慶長6(1601)年10月追われて長崎に行き5年後清い信仰生活のうちに死んだ。元和5(1619)年霊魂を鎮めるためマリアとその子を祭り今宮若宮神社と称した。後天神神社に合祀された。
宗義智とマリアの子供に、後にローマにまで渡りキリスト教司祭となった、小西マンショがいます。
彼は、キリスト教が禁教とされた後で日本から追放され、フィリピンのゴア、さらにはアフリカ喜望峰を回ってヨーロッパまで行ったという当時としては大冒険とも言える航海をしています。
ヨーロッパではローマ法皇と謁見、後年司祭として日本に戻ってくるという数奇な運命をたどります。
安徳天皇と小西マリア。
同じ境内に、時代こそ違え歴史に敗れたもの同士がひっそりと祀られています。盛者必衰の理…。
勝者だけでない歴史の反対側面が、このような神社の片隅にひっそりと佇んでいるのですね。合掌。
厳原八幡神社
アクセス
厳原港より車で10分
対馬空港より車で20分
営業時間
24時間参拝自由
定休日
年中無休
拝観料金
無料
駐車場
有料駐車場あり
参拝と申し出れば無料
アドレス
0920-52-0073
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