こんにちは!旅人サイファです。
皆さん、『天の一つ柱(あめのひとつばしら)』という言葉を聞いたことがありますか?
日本神話の中で、神々の住んでいるのは「高天原」と呼ばれる天上世界です。
一方、人々が生活していたのが「葦原中つ国」と呼ばれる地上世界です。「葦原中つ国」が現在の日本列島ですね。
この「高天原」と「葦原中つ国」を結ぶ唯一のルートが、この『天の一つ柱』です。
最高神である天照大神をはじめとする「天津神一族」の神々はみな、この柱を登り降りして天上世界と地上世界を行き来している…とされています。
それではこの『天の一つ柱』…どこにあるかご存知の方はいらっしゃいますか?
え。伝説上の話でしょ?そんなの存在しているワケないじゃん!
…と、思った方も多いかもしれません。
だがしかし!実はちゃんと古事記にその場所が記されているんです。
以下は古事記、国産みの中の一説です。
次生伊伎島。亦名謂天比登都柱。
次に伊伎島(いきのしま)を生んだ。またの名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。
これまでこのブログで何度か話題にしてきた長崎県対馬と九州本土の中間点に存在する島です。
この壱岐島の別名が『天比登都柱』…天の一つ柱なのです!!
『天の一つ柱』は、天上界「高天原」と地上世界を行き来するための唯一のルートとされています。
もちろん『天の一つ柱』はあくまで概念的なもので、頭上…雲の上にある空想の天上世界への入口という神話的な伝承とみることも可能です。
しかし…それならばなぜ壱岐がその柱なのでしょうか?『神の降臨する島』らしく神社の多い島ではありますが、それだけでしょうか?
天上界と地上世界を繋ぐ唯一の交通路が『天の一つ柱』。
それが『壱岐』ということは、神々は必ず壱岐を経由して行き来をしていたということ。
地上世界を日本列島とすると、九州の北方に位置する壱岐が結ぶのは…その先の対馬、そしてさらにその先の朝鮮半島ではあるまいか…?
その傍証として、対馬の地名(上対馬、下対馬)も挙げられそうです。壱岐の北方に位置する対馬は、朝鮮半島側の北部を「上対馬(上県)」、九州や壱岐側の南部を「下対馬(下県)」と名付けられています。
しかし、日本古来の地名の付け方から考えると、本来上下は逆。日本の都である奈良や京都に近い南部が「上対馬」、遠い北部が「下対馬」であってしかるべきなのですが…。
天上界への入口『壱岐』
↓
↓
このように考えると…上対馬の先にあるのは…
↓
まさか…神々が元いた世界『高天原』は朝鮮半島南部ではあるまいか!?
魏志倭人伝をはじめ中国の史書によると、元々朝鮮半島南岸部で活動していた人々も「倭人(わじん)」とされています。
そう。元々朝鮮半島南岸に生活していた人種と日本列島で生活していた人種は、同一とされていたのです。
古代、朝鮮半島南岸部には『伽耶』(任那)と呼ばれる倭人国家が存在していました。
そもそも、日本へ稲作技術をもたらした大陸からの渡来人こそが弥生人のルーツ。
その弥生人が、元々日本列島で生活していた縄文人を支配混血しつつ作った王朝が、現代まで続く『日本天皇家』です。
もしかしたら、その弥生人の故郷こそが、その『伽耶』(任那)ではあるまいか。そして彼ら弥生人がやがて『天津神』=『天皇家』を作り上げたのではあるまいか。
朝鮮半島に残った倭人の国家(伽耶、任那)は、やがて南下してきた新羅に攻略され滅亡します。
その結果、朝鮮半島南部に生活していた倭人は根拠地を失い、朝鮮半島から駆逐されるのです。
仮に『伽耶』が天皇家の出身地だった場合…日本列島に移り住んでいた天皇家は、朝鮮半島にあった祖国を失ったことになります。そして仕方なく彼らは「朝鮮半島からやって来た」という歴史を捨て、朝鮮半島との訣別を決意します。
こうして作られたのが日本独自の建国神話です。
そう。この時代(天智天皇の娘・持統天皇の時代)に書かれた歴史書こそが…『古事記』であり『日本書紀』なのです!
この神話も、もしかしたら天皇家の祖国を滅ぼした新羅への復讐譚として創作された神話なのかもしれません。
天界への入口『天の一つ柱』である壱岐
朝鮮半島こそが日本神話に語られる『高天原』なのではないか…そう思えて来るのですが、いかがでしょうか?
その他の対馬関連記事はこちらから読めます