こんにちは!旅人サイファです!
今回は意外な反響を頂いたこちらの記事…『新潟県はなに地方なのか?』の続編です。
前回の記事では新潟県は…
と結論付けました。
しかし…!ここで新たな疑問が生まれました。
『そもそも…甲信越ってなんだ?いつ出来た言葉だ?』
甲信越とは、『甲斐(現山梨県)』『信濃(現長野県)』『越後(現新潟県)』の頭文字を取ってまとめたものです。
しかし、この3県でまとまった歴史的な繋がりというものは、実はほとんどありません。
このうち2県であれば、山梨県と長野県の繋がりは強固です。
古くから甲州街道という大街道で繋がっていますし、歴史的にも武田信玄の時代は同じ領国として経営されていました。(越後はライバル上杉領)
残る新潟県は、上越地方と長野県北信地方だけは北国街道を通じて交流はありますが、それはあくまで限定的なもの。
そして新潟県と山梨県に至っては…気候も文化も風俗も全く異なる異国です。
『甲信越』という言葉が無ければ、そもそも同じグループという意識は皆無でしょう。
そう。つまり『甲信越地方』とは『甲信』+『越』という2プラス1の集合体でしか無いのです。
甲信越と似たような区分分けに、『東海3県』や『北陸3県』というものがあります。
しかしこれらと甲信越とは、決定的に違うポイントがあります。
それは『中心となる都市』の有無。
東海3県(愛知県、岐阜県、三重県)には、『名古屋』という中心都市が。
北陸3県(石川県、富山県、福井県)には、『金沢』という中心都市が。
それぞれ『名古屋経済圏』『金沢経済圏』と言う形で引力を持って繋がっています。
しかし、甲信越はどうでしょう。
この3県にある唯一の政令指定都市は『新潟市』ですが、長野県や山梨県まで波及する経済圏は構築できていません。そもそも新潟市は3県域の外れに位置しています。
もしもある企業の甲信越支社が新潟市に置かれていたとしても…とても山梨県エリアまで管轄するのは困難でしょう。距離がありすぎます。
では、甲信越地方の引力となるべき中心都市って…どこでしょう?
地図を見て考えてみてください。
勘の良い方には思い付いたかもしれませんね。
そう。その中心都市とは…東京です!
こちらのデータをご覧ください。
これは新潟県民、長野県民、山梨県民が県外へ出る目的地のランキング。
3県全てにおいて東京がトップ!
隣県に行くよりも、離れた東京へ人は向かっているのです。
3県全てが東京の方向を向いていると言うことが分かるでしょう。
逆に…同じ甲信越地方のはずの山梨県と新潟県の行き来がほとんど無いことも良く分かると思います。
もうお分かりでしょうか。
甲信越とは、山梨県、長野県、新潟県の3県だけでは成立しないのです!
甲信越地方の真髄は『東京(関東)周縁地方』。
東京という引力が存在して初めて成立する概念なんです。
『甲信越』を語る時に『東京(関東)』を抜いては始まらないのです。
つまり極論してしまえば『甲信越地方』というものは単独では存在し得ないのです。『関東甲信越地方』としなければ、なんの意味も持たない空虚な言葉なのです。
今回、この記事を執筆するにあたって色々調べましたが、『甲信越』という言葉の初出はついに見つけられませんでした。いったい誰が、いつ言いだした言葉なのか…。
これは…チコちゃんに依頼する案件なのかもしれません(笑)
少なくとも明治以降。恐らく東京一極集中が強まってからのことではないでしょうか。
私は、新潟出身の昭和の政治家「田中角栄」によって、新潟と東京の結びつきが強まってから誕生した言葉ではないか…と睨んでいます。
新潟県を関東の周縁の県として認識させるために、長野県山梨県を巻き込んだ…邪推しすぎでしょうか?
読者の皆さんに『甲信越』という単語の初出をご存知の方いらっしゃいましたら、ぜひコメントください!
関東地方にお住まいの方には、日常に自然に溶け込んでいる『甲信越』という空虚な言葉。
『東京』という強力な引力がなければ…横の繋がりはほとんどない、無意味な地方区分になってしまうのです。
おまけ
facebook や twitter でも地方問題は苛烈してました。
FB上での議論
Twitterでの議論(スタッフも加わる, 一番下)
次回です!
前回です!
甲信越シリーズ