こんにちは。旅人サイファです。
今回は久しぶりに【旧国名シリーズ】から旧丹波国のお話をお届けします。
かつてはさらに北の但馬国(7世紀後半に分割して独立)や、丹後国(8世紀前半分割して独立)も領域に含んでいた、かなり巨大な国でした。
(※まるごと大丹波HPより)
上記の地図の濃いオレンジ&濃い緑のエリアが旧丹波国のエリアです。
この丹波国、以前記事にした信濃国(現長野県)と大変よく似た特徴を持っています。
それはその地形。信濃国と同じように国内のほぼ全域が山岳地帯。
広々とした平野は一切なく、ポツポツと小盆地が点在しているだけ。
代表的な盆地も、亀山(現亀岡市)、園部(現南丹市)、綾部、福知山、篠山(現丹波篠山市)、氷上(現丹波市)と、数えるほどしかありません。
まさに京・大阪の裏に聳える山国、それが旧丹波国です。
地形が似通っていれば、歴史も似通うもの。
戦国時代の丹波も信濃と同じように、一国を統一するような大大名はついぞ現れず…各小盆地に豪族(国人衆)が割拠する状態でした。
そしてやがて、明智光秀を旗頭とした織田信長の山陰方面軍に、結局のところ淘汰されてしまいました。
武田信玄の軍勢に各個撃破された信濃国と同じような運命を辿るのです。
信濃国についてはこちらです
江戸時代になっても、信濃一国を統治した大名が存在しなかったように、丹波国には7つの小藩が林立する状態でした。(信濃国は大小19藩)
また、明治維新を経て長野県となった信濃国が県民意識の統一で苦労したように、丹波国もひとつの国としての意識を形成することができず…結局国は二分され、京都府と兵庫県とに分断されて現在に至っています。
京丹波町や丹波郡は京都府に、丹波市や丹波篠山市は兵庫県に…。
仮に丹波国が江戸時代、統一大名に治められていたとしたら…恐らく廃藩置県で分割されることもなかったでしょう。
明智光秀が本能寺の変に際し、軍勢を集結させ出陣したのが、丹波国の中心都市、亀山城…現在の亀岡市です。
亀岡市は京都市内嵐山から一駅。あっという間にたどり着ける距離です。
この立地に城を持たせたという一点からも、織田信長がそれだけ明智光秀を信頼していた証と言えるでしょう。
言うなれば、亀山は京都の裏門、丹波国は京都の裏山なのですから。
そんな京都府と兵庫県に分割されてしまった丹波国。
府県を超えて提携しようとする動きがあります。
まるごと大丹波として活動していますので、そちらもどうぞチェックしてみてください♪
次回です!
前回です!