こんにちは!旅人サイファです!
今回は、先日ネットニュースで目にしたこちらの記事から。
お城の復元基準が緩和。
歴史的な裏付けのない怪しい復元城郭が増えるかも?
という記事です。
昭和の時代、戦後の経済成長を経て世の中がバブルに浮かれるころまでに、日本各地に次々と建てられた『観光用の城』。
これらは、実はここに『城』があったという根拠がない場所に建てられた『天守閣風建築物』。
姿形はお城、天守閣を模した外観をしていますが、過去にその場所に城があったことは一切ない、全くの偽物!
また、千葉県にある千葉城や久留里城、大多喜城などは、その場所にかつて『城』があった場所に建てられた天守閣もあります。
しかし、これらの城には天守閣が建てられた記録は存在しません。
にも関わらず、お城のシンボルとしてやはり『天守閣風建築物』が建てられている場所も多いのです。
実はこれらが建築された昭和のころは、歴史的な資料や裏付けなどは一切考慮に入れられず、それぞれ画好き勝手に『復元天守閣』などと称して建築されたもの。
『お城(天守閣)を作れば観光客が集まる!』と、安易に作られた負の遺産です。
勘違いされている方も多いようですが、お城(城郭)とは、天守閣のことを指すのではありません。
天守閣はお城(城郭)を構成する一部分。
土塁、石垣、堀、門、塀、櫓(やぐら)、御殿(ごてん)らと並ぶ、防御施設の司令塔こそが『天守閣』なのです。
天守閣こそは、最も高く、最も美しいため、城のシンボルとなるのは当然ではありますが、あくまで構成要素の一部分に過ぎません。
少し話が脇道に逸れてしまいましたが…。
現在では昭和期の観光ブームの際に作られた、歴史的裏付けのない、観光用の天守閣で溢れてしまっています。
それに対して、平成に入ってから、アンチテーゼと言うべきか。
きちんと歴史的な裏付けに沿って城郭を復元しようという動きが目立つようになります。
【木造復元天守閣】
これら5つの城は、正確な資料に基づいて、 "木造で" 復元した例です。
きちんとした時代考証のもとに設計されているため、当時の姿そのままを現代に甦らせている硬派な例ともいえます。
昨今名古屋城も木造天守閣に作り替える工事が始まったところですね。
現在は城郭を復元するにあたって厳しめに基準が設けられているため、かつての昭和期のような偽物天守閣が作りにくくなっています。
しかし、その復元基準が今年の4月に緩和されました。
これは、復元整備を行いたいが、現在の厳しい基準に合致する資料が見つからずに苦悩している自治体の声を受けて…とも言われます。
例えば、四国の高松城。
それに安土城や江戸城など、天守閣復元の動きは各地にあります。
しかし、これまでの厳しい基準をクリアすることができずに二の足を踏んでいました。
復元的整備を可能にする、やや緩和された新基準を受けて、もしかしたら第二次復元城郭ブームがやってくるかもしれませんね。
私は…現在の石垣のみの安土城の雰囲気大好きですけどね。
本気でやるならば、震災前の熊本城くらい壁や櫓、御殿まで全て復元する覚悟で手を入れてもらいたいです。
山頂部の天守閣だけ復元!
なんて…無粋な真似はしないで欲しいんですけどね。
次回はこちら!