こんにちは!旅人サイファです!
ここまで【旧一級国道をめぐる】のシリーズご愛読ありがとうございます!
今回は国道1~25号線までの番外編として『中山道(なかせんどう)』の悲哀をお届けします。
さて!突然ですが問題です!
問1「東海道は現在の国道何号線ですか?」
これはここまでの連載を読んで下さった方には簡単ですね!
正解は「国道1号線」です!
では続いて!
問2「甲州街道は現在の国道何号線ですか?」
これも簡単ですね!正解は「国道20号線」です。
それでは第三問!
問3「中山道は現在の国道何号線ですか?」
…皆さん回答できますか?
…中山道。
読んで字のごとく!
東国へ海沿いを進んだ『東海道』の対として、こちらは東国へ山沿いを進んだので『東山道』です。
本来の東山道は、(現在の県名で言うと)京都→滋賀→岐阜→長野→群馬→栃木→福島→宮城→岩手→青森へと続く、東へのメインルートのひとつでした。
江戸時代のころ、この道は中山道として整備されます。
上野(現在の群馬県)から、本来まっすぐ東へ向かう東山道とはコースを違え南下。
武蔵(現在の埼玉県)を抜けて江戸へ向かうコースとして、新たに中山道(中仙道)と名付けられました。
京都と江戸を繋ぐメインルートである東海道と並び、中山道は裏ルートとして同じく重要な道だったのです。
宿場町も69を数え繁盛していたようです。
特に、江戸初期には五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)のひとつに数えられ、優先的な整備が進められました。
江戸時代を通じて多くの旅人や大名が行き交う、当時を代表する街道のひとつでした。
この五街道は、現在でも重要な道路として受け継がれています。
しかし中山道は…違うのです。
中山道→国道17号線、18号線、(長野県道9.44.154号線)、142号線、20号線、19号線、21号線、8号線、1号線
………!?
中山道だけ…かなり異質ですよね。
なんと、一部分は…国道指定すらされていません(T_T)
現在、中山道は、上の地図で言えば
①東京→高崎までは国道17号線
②高崎→軽井沢までは国道18号線
③軽井沢→芦田までは…なんと県道(!?)
④芦田→下諏訪までは国道142号線
⑨大津→京都までは国道1号線
関ヶ原の合戦時には徳川秀忠が徳川軍の主力を率いて、この道を駆け抜けました。
江戸時代には、庶民だけでなく、大名や皇族、徳川第14代将軍の正室・皇女和宮さえもこの道を通ったと言うのに…。
中山道の不遇、悲哀。
…なぜこんなことになってしまったのでしょう。
中山道は内陸の山間地を通過します。
山間地ですから峠越えの難所もたくさんあります。
夏場はともかく、冬場は雪深く徒歩でも通行が困難なほど。
難航が予想される道路建設の優先度は…高くなかったのでしょう。
明治政府は、山間部を縫って走る中山道よりも、新首都・東京から各地方への交通を重視しました。
その結果、東京と京都を結ぶルートから中山道は捨てられるのです…。
メインルートは甲州街道(現20号線)を西に向かうコース(以下に詳細)
※山間のメインルートは東京から甲州街道(現20号線)→中山道木曽路(現19号線)→下街道(現19号線)で名古屋へ。
名古屋からは美濃路(現22号線)で岐阜へ。
残念なことに、中山道は近代国道からは捨てられた存在になっています。
ですが、だからこそ、趣のある宿場町や街道筋が現在まで残されているのです…。
なんたる皮肉でしょう。
なお、長野県中部の大門峠付近には、古代東山道(後の中山道)の原道が現在も残されています。
それがこちら。
…もはや獣道。車はおろか自転車でも通行は困難です。
歴史から取り残された旧中山道。
もしも国道17号線をはじめ、旧中山道をトレースした道を通りかかることがあったら…!
ぜひその悲哀を感じてください。
その悲哀と、だからこそ残された遺構への感謝。
その両方の感情を抱きつつ、私は今日も国道17号線を走らせます。
本編もよろしくお願いします
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