こんにちは!旅人サイファです!
今回は、東北地方のお話。
古代の旧国では、東北地方の日本海側(秋田、山形)は、丸々『出羽』という国でした。
太平洋側(青森、岩手、宮城、福島)は同じく丸々『陸奥』。
かなり大雑把な区分けです。
現在、東北地方合わせて6県もあるエリアを『陸奥』『出羽』とざっくりたった2つの国としていたのです。
京都奈良の近くから関東地方までは比較的細かく国分けが行われているのに対して、東北地方の大雑把な国分けは、明らかに異質です。
これは、五畿七道の国分けをした当時(天武天皇の頃と言われる)、東北地方は大和朝廷の完全な勢力下になかったことを如実に現しています。
つまり『詳しく知らないから関東以北は全部引っくるめて陸奥と出羽』にした…といった感覚だったのでしょう。
大和朝廷の人々は、彼らを異民族とみなし恐怖の対象にしていました。
過去の記事でも何度も触れていますが、本来『関東』という言葉は、東国に割拠する異民族(アイヌ)の襲撃に備えたもの。
畿内から東へ伸びる三本の主要道に…
この3つの関所を作ることで、異民族の侵入に備えました。
よって畿内(京都奈良)から見て、関所の東側を『関東』と呼ぶのです。
さらに、時代が下ると…もうひとつずつ関所が設けられます。
これらは、奥州三関と呼ばれ、東北地方(異民族の里)との国境警備の任務についていました。
この、大和朝廷から恐れられた民の住む土地。
それこそが、東北地方であり『陸奥』『出羽』の2国なのです。
江戸時代が終わり、明治初年になってようやく分割されます。
出羽
羽後→現在の秋田県
羽前→現在の山形県
戦国時代を扱ったゲーム等では、陸中・陸前、羽後・羽前といった地名が登場するものもありますが…これは間違い。
陸奥と出羽が分割されたのは、戊辰戦争終結直後の明治元年です。
江戸時代までは、一貫して丸ごと『陸奥』と『出羽』でした。
それにしても…明治時代になるまで丸ごと大雑把な国分けのままだったのは意外ですね。
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