こんにちは!旅人サイファです。
本日は前回に引き続き、ローマ暦の謎に迫る!の後編をお届けします!
前回のおさらいをしておきましょう!当時のローマ暦は…
- 1年は現在の3月からスタートする
- Octoberは8番目の月を表す
- 冬の60日間は名前がない
と、いったところが前回までのお話!
しかし、残された謎がいくつかありましたね。
① 名前のない冬の二月はいつできたか
② 1年の始まりが2ヶ月ズレたのはなぜか(これはなぜOctoberが8月→10月にズレたのはなぜかにも通じています)
③ 5番目&6番目の月名が聞き慣れないのはなぜか
それでは、ローマ暦の変遷を見ていきましょう!
ヌマ暦
① 名前のない冬の二月
紀元前714年。
時のローマ国王ヌマによって暦の改定が行われています。
この時はじめて、
後の1月にあたる Januarius
後の2月にあたる Februarius
が制定されました。
これまで名前のなかった冬の二月に名前が付けられたんですね。
お察しの通り、英語のJanuaryとFebruaryの語源です。
この時はまだ、3月スタートは変わっていません。
しかし、天文観察が発達した結果、後の日本での太陰暦にも採用されている『閏月』が発明されています。
ヌマ暦の改定
② スタートが2ヶ月ズレたのはなぜか?
これが今回の主題!
ですが、これは諸説あるようですね。
一説には、古代ローマの戦争が関係しているようです。
当時の共和制ローマは年ごとに変わる執政官(コンスル)が政治のリーダーとして選ばれていました。
紀元前153年。
現在のスペインでの戦争を遂行するため、本来年の初めであった1番目の月(Martius)からの任務を臨時的に2ヶ月だけ前倒したのがきっかけと言われています。
2ヶ月前倒しして、11番目の月であったJanuariusから任務が始まった特例。
非常時のための特例…だったはずですが、なんとこの戦争が20年も続いたために、慣習がそのまま定着してしまっただけ…みたいです(笑)
うーん。おおらかなラテン民族らしい?
ですけど…少しモヤっとする説明ですなあ。
まあ、そんな理由で(笑)
1年の始まりの月がJanuariusからになってしまったみたい。
『5番目の月』と命名してある月が7月になったり、『8番目の月』と命名してある月が10月になったり…日本人の僕からすると納得いきませんが(笑)
③ 5番目&6番目の月名が聞き慣れないのはなぜか
ヌマ王の制定した暦では、1年は355日。
閏月で実際の季節とのズレを抑えていたのですが…長い年月を経てその差は大きくなるばかりでした。
そこで登場したのがユリウス=カエサル。
1年を365.25日という、現在とほとんど変わらない精度を持つ暦を完成させます。
各地を転戦していたカエサル。
一説にはエジプトの高度な太陽暦の知識を導入したとも言われます。
ローマの最高権力者となった彼は、太陽暦の導入とともにカレンダーにひとつ細工をします。
それは、本来5番目の月とされていたQuintilisを自らの名前である『Julius』と改名したこと。
この月はカエサルの誕生月でした。
さらに、これはやがてカエサルの後継者である初代皇帝アウグストゥスによって、6番目の月とされていたSextilisの『Augustus』への変更に引き継がれます。
実はこの後の皇帝たちも、月の名前に自分の名前をつけているのですが…定着せず。
結局定着したのはこの『Julius』と、『Augustus』の2つだけでした。
もうお分かりですよね。
7月のJuly、8月のAugust
それぞれの語源です。
こうして、現在の英語での月名に繋がる12月が、ようやく出揃ったのです。
逆に本来正式な名称であったQuintilis(クインティリス)とSextils(セクスティリス)の名は失われ、永遠に忘れ去られることになるのです。
まとめ
- 国王ヌマの時代に、初めて冬の二月に名前が付けられた
- 共和制ローマの戦争任務のために臨時的に2ヶ月前倒しにしたのが定着してしまった
- ユリウス=カエサルとアウグストゥスによって、7月、8月の名称が変更された
これで、現在使用している太陽暦とほぼ変わりない暦が完成したのです。
このユリウス暦は非常に優秀で。
ヨーロッパ世界では1600年ごろまでそのままの形で使用され続けます。
驚きますね!
なお、ユリウス・カエサルとアウグストゥスが無理やりJulyとAugustを挿入したためにズレたというのは俗説です!
彼らの登場前から既に、2ヶ月のズレは生じていたのです。
前回です!