大国に挟まれた小国の運命。
ある時は織田方へ付き、ある時は今川家へ付き…どうにか独立を保っていました。
しかし。
松平広忠がわずか23才(異説あり)で死亡。
麒麟がくるでは暗殺されましたが、病死との説もあります。
父が亡くなった時、家康はわずか8才。
しかも織田家に人質となっている。
やがて人質交換で身柄は今川家へ渡されます。
幼き家康も、独立した大名ではなく、今川家の家臣扱いとされてしまう。
最も苦しんだのは松平家の家臣団。
今川家からは家臣のそのまた家臣として…対織田との戦では常に最前線へ立たせられました。
不満はあっても、若君が今川家に押さえられている以上文句は言えない。
こうして…三河者たちは忍従の時代を過ごすのです。
こうした忍耐の経験があったからでしょうか。
やがて天下を取る松平家(→のちに改名して徳川家)の家臣団の団結力は高められたのかもしれません。