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【ブラタモリレポート】『近江八幡▼近江商人を生んだ豊臣の町作りとは』

ブラタモリ】『近江八幡近江商人を生んだ豊臣の町作りとは』視聴レポート!

不定期土曜日連載!【ブラタモリ】視聴レポートをお届けします。

 

今回のブラタモリ!テーマは「近江八幡」です!

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

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こちらは不定期にお届けする【NHKブラタモリ』】レポートの記事をお届けしています。
 

 

近江八幡近江商人を生んだ豊臣の町作りとは

 

今回のブラタモリ近江八幡日本三大商人のひとつとされる近江商人の根拠地です。

 

近江八幡は、前回ブラタモリで訪れた安土のすぐお隣。本能寺の変のあとで焼き払われた安土城とその城下町を引き継ぐ形で作られたのが…近江八幡の町なのです。

 

近江八幡の町作りを主導したのは、豊臣秀吉の後継者であった豊臣秀次

 

彼は、町の中心にそびえる八幡山に城を築き、その山麓に城下町を整備しました。

 

秀次が作った近江八幡の城下町は、琵琶湖から引いた運河を町と直結させ、舟運を持って商人町の活性化を図った町でした。

 

秀次は、街道を行き来する商人たちと、琵琶湖を航海する船人たちの全てに、近江八幡に必ず立ち寄るように命じたことで、近江八幡の町は大いに活気づいたのです。

 

しかし。

 

近江八幡城主であった豊臣秀次は、秀吉に実子が生まれたことで関係が悪化。やがて切腹を命じられて近江八幡城は廃城とされてしまうのです。それはつまり…近江八幡の城下町も破棄されてしまうのです。

 

安土城、そして近江八幡城の廃城を受けて…商業を担っていた近江商人たちは教訓を得たのでしょう。

 

それまで、城下町という武士の庇護のもと行っていた商売から脱却し、今度は自分たちで商いを立脚させるのだ。

 

ここから…近江商人たちの飛躍が始まります。

 

近江商人たちは、近江という日本全国東西南北どこへでも行ける利点を活かして、全国へ商人を派遣。

 

  • 売り手よし
  • 買い手よし
  • 世間よし

という「三方よし」の精神をもとに、販路を拡大しするのです。

 

現代になっても、そんな近江商人の魂は受け継がれています。

 

近江商人の流れを組む企業一覧

 

そうそうたるメンツですよね。現代でも一流の企業がズラリ!

 

城下町で武士の庇護のもと行う商売ではなく…自ら現地へ赴いて、現地で必要なものを売るという革命的なスタイルを見出だした近江商人

 

彼らのルーツは…ここ「近江八幡」にあるのですね。

 

ブラタモリのレポート一覧はこちらから

traveler-cipher.hatenablog.com