【ブラタモリ】『近江八幡▼近江商人を生んだ豊臣の町作りとは』視聴レポート!

不定期土曜日連載!【ブラタモリ】視聴レポートをお届けします。
筆者紹介
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近江八幡▼近江商人を生んだ豊臣の町作りとは
今回のブラタモリは近江八幡。日本三大商人のひとつとされる近江商人の根拠地です。
近江八幡は、前回ブラタモリで訪れた安土のすぐお隣。本能寺の変のあとで焼き払われた安土城とその城下町を引き継ぐ形で作られたのが…近江八幡の町なのです。
近江八幡の町作りを主導したのは、豊臣秀吉の後継者であった豊臣秀次。
彼は、町の中心にそびえる八幡山に城を築き、その山麓に城下町を整備しました。
秀次が作った近江八幡の城下町は、琵琶湖から引いた運河を町と直結させ、舟運を持って商人町の活性化を図った町でした。
秀次は、街道を行き来する商人たちと、琵琶湖を航海する船人たちの全てに、近江八幡に必ず立ち寄るように命じたことで、近江八幡の町は大いに活気づいたのです。
しかし。
近江八幡城主であった豊臣秀次は、秀吉に実子が生まれたことで関係が悪化。やがて切腹を命じられて近江八幡城は廃城とされてしまうのです。それはつまり…近江八幡の城下町も破棄されてしまうのです。
安土城、そして近江八幡城の廃城を受けて…商業を担っていた近江商人たちは教訓を得たのでしょう。
それまで、城下町という武士の庇護のもと行っていた商売から脱却し、今度は自分たちで商いを立脚させるのだ。
ここから…近江商人たちの飛躍が始まります。
近江商人たちは、近江という日本全国東西南北どこへでも行ける利点を活かして、全国へ商人を派遣。
- 売り手よし
- 買い手よし
- 世間よし
という「三方よし」の精神をもとに、販路を拡大しするのです。
現代になっても、そんな近江商人の魂は受け継がれています。
近江商人の流れを組む企業一覧
- 西武鉄道、西武グループ、セゾングループ (愛知郡出身の堤康次郎が創業)
- 髙島屋(高島郡出身の商人飯田儀兵衛の婿養子である飯田新七が創業。社名は高島郡に由来)
- 中合(現在の東近江市出身の中村治郎兵衛が創業。福島市の百貨店グループ)
- 藤崎(創業者藤﨑治右衛門は日野出身との説がある)
- 山形屋(近江商人の血を引く羽前庄内出身の源衛門が創業)
- 白木屋(長浜出身の大村彦太郎が創業。1967年に東急百貨店に吸収)
- 三中井百貨店(神崎郡出身の中江勝次郎が創業。1945年の終戦とともに消滅)
- 商社
- 編集
- 伊藤忠商事・丸紅(犬上郡出身の伊藤忠兵衛が創業)
- 住友財閥(初代総理事広瀬宰平は野洲郡出身、2代目伊庭貞剛は蒲生郡出身)
- 三井財閥(三井家の家伝によると、三井家は近江の国佐々木氏に仕えた所から始まる)
- 双日(母体となる日商岩井、ニチメンとも、近江商人の流れを汲む)
- トーメン(彦根出身の児玉一造が中心となって創業 2006年に豊田通商に吸収合併され消滅)
- 兼松(前身の一つである江商は、犬上郡出身の北川与一が創業)
- ヤンマー(伊香郡出身の山岡孫吉が創業)
- 繊維関係
- 編集
- 日清紡
- 東洋紡(前身の一つである金巾製織は、滋賀県知事の勧奨から複数の近江商人が創業)
- 東レ
- ワコール(仙台出身神崎郡育ちの塚本幸一が創業。社名は「江州に和す」に由来)
- 西川(八幡出身の西川仁右衛門が創業)
そうそうたるメンツですよね。現代でも一流の企業がズラリ!
城下町で武士の庇護のもと行う商売ではなく…自ら現地へ赴いて、現地で必要なものを売るという革命的なスタイルを見出だした近江商人。
彼らのルーツは…ここ「近江八幡」にあるのですね。