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【新潟】長岡の原点はここ!『蔵王堂城跡』は堀直寄が作った拠点!

長岡の原点はここ!『蔵王堂城跡/金峯神社』で歴史を感じる!

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新潟県第2の都市・長岡はこの場所から始まった!》

 

長岡市街地の北方に鎮座する金峯神社は、かつてこの地にあった『蔵王堂城』の跡地!ここから、新潟県第2の都市・長岡は始まったのです!

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。

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こちらの記事は【残雪の新潟グルメ旅行記】よりシリーズでお届けしております。
 

 

蔵王堂城跡』の歴史

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蔵王堂城跡』の周辺一帯は、越後国中部を抑える要衝として戦国時代から重要視された土地でした。上杉謙信の時代から一族や重臣が拠点とした城館があったようです。

 

この地に『蔵王堂城』を建てたのは、上杉景勝会津転封後に越後国へ入った堀秀治でした。

 

堀秀治には、父・堀秀政の従兄弟であり共に堀家の創業を助けた堀直政という後見人がいました。豊臣秀吉から、天下の三陪臣のひとりにも数えられたという傑物です。(※陪臣=家来の家来)

 

戦国時代末期、関ヶ原の戦い直前に越後国を与えられた堀秀治は、自らは春日山城を居城とし、国内各地に一族重臣を配置して統治しました。

 

中越地方の要衝であった『蔵王堂城』は、弟である堀親良に与えられますが、彼はやがて秀治や直政らと仲違いを起こして隠居。城は秀治の次男・鶴千代へと受け継がれます。

 

この時、幼い鶴千代の後見人となったのが、堀直政の三男・堀直寄でした。

 

この堀直寄こそが…やがて新潟県第2の都市へと成長する「長岡」の産みの親なのです!

 

直寄は『蔵王堂城』を整備して城下町を作ります。

 

しかし、ここ『蔵王堂城』が建つ場所のすぐ背後は、日本一の大河・信濃川が流れる立地です。水害を恐れた直寄は、『蔵王堂城』から南方に見える大島庄平潟原に見える丘地への移転を計画します。

 

その移転場所こそが…現在の「長岡」!新潟県第2の都市として繁栄することになる中越地方の中心都市なんです!

 

つまり!長岡という土地の価値を見抜き、越後国でも屈指の大都市へと押し上げたのは、堀直寄という人物のおかげなんです!

 

堀直寄は「長岡城」が完成するとそちらへ移り、ここ『蔵王堂城』は廃城となります。そして、跡地には小さな神社「金峯神社」が建てられ、現在も中越地方の総鎮守さまとして大切にされています。

 

ちなみに堀直寄は、長岡城完成から2年後に2万石加増されて同じ越後国内の村上城へと転封されています。せっかく立派な城を作ったのに…口惜しかったでしょうね。

 

蔵王堂城跡/金峯神社』の見どころ

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長岡の市街地北方にある『蔵王堂城跡』にやって来ました。現在は中越地方の総鎮守とされる「金峯神社」の境内になっています。

 

というのも…!実はこの時筆者は、ここに長岡随一の神社(金峯神社)がある…とだけ聞いてやって来たんです。

 

しかし…いざたどり着いたら、なんとそこは城跡!しかも長岡発祥の地とも言える『蔵王堂城跡』ではありませんか!かつて、蔵王堂藩があったのは承知していましたが…まさかこんなにきちんとした城跡が残っていたとは!大きな驚きでした。

 

さて。まずは駐車場に車をとめて、参道を歩きます。


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参道の脇には手水舎がありますが…これが今流行りの花手水になっていました。白い菊をメインに彩られていて、とっても可愛らしい!


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さらに参道を進むと、社殿が見えてきます。こちらが「金峯神社」の社殿ですね。何やら左側だけが覆い屋に囲まれています。不思議な印象ですね。雪国特有のものか?もしくは中越地震で被害を受けたそうなのでその補修でしょうか?

 

まずはこちらで二礼二拍手一礼…参拝させていただきました。


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社殿の左側後方には、ひときわこんもりとした丘が作られていますが…これこそが、『蔵王堂城跡』の痕跡です。回りには小規模ながら堀も残されていますね。


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中央に盛られた土塁の上に上がってみました。高さは10mほどでしょうか。上まで上がると周囲をよく見渡せます。ここが、かつての『蔵王堂城』の本丸跡になります。

 

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土塁を降りて堀端を一周すると…何やら武将の銅像が!この人物こそが「堀直寄」その人!

 

全国的には決して有名な人物ではありませんが、長岡発展の恩人として…地元の方々からは篤く思われているんですね!ちょっと感動しました。


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よくよく調べてみると、主筋であった「堀秀政」の家系は、家老であった堀直寄と内部対立を起こしたことが原因で、改易(断絶)に遭っています。

 

一方、堀秀政の従兄弟で、天下の三陪臣と呼ばれた「堀直政」の家系は直寄が継ぎ、村上藩村松藩(三万石)として幕末まで続いています。

 

つまり堀家の場合は、主家は滅亡し、その家老の家系だけが残ったという稀有な例なんですよね。主筋とはいえ…直政・直寄親子あっての堀家だったのでしょうかね。


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今は小さな城跡に過ぎませんが…新潟県第2の都市「長岡」の原点ともいえるのがここ『蔵王堂城跡』です。長岡へお越しの際は…ぜひ『蔵王堂城跡/金峯神社』へも足を運んでみてください。その歴史を知っていると…感慨深いものがありますよ。

 

蔵王堂城跡』へのアクセス/駐車場/所要時間

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蔵王堂城跡/金峯神社』は、長岡の市街地から北方へ10分ほど車を走らせた先にあります。

 

市外からのアクセスの場合、北陸自動車道の長岡ICから15ふんほどです。敷地内に無料駐車スペースがありますのでご利用ください。

 

長岡駅から路線バスでのアクセスも可能ですが、本数が限られますのであまり実用的ではありません。公共交通機関ご利用の場合はタクシー利用がおすすめです。

 

見学の所要時間は30分あれば充分です。現在の長岡に繋がる原点を感じながらご見学ください。

 

【残雪の新潟グルメ旅行記】3日目。長岡市内の名所を巡り、この後は燕三条駅へと戻りました。次回は工業の町・燕&三条を象徴するスポットに立ち寄ります。おたのしみに!

 

蔵王堂城跡』の基本情報

アクセス

JR上越新幹線ほか 長岡駅より路線バス

関越自動車道 長岡ICより15分

 

営業時間

24時間自由

 

定休日

年中無休

 

入場料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

新潟県長岡市西蔵王2-6-19

0258-32-2337