『大和神社』は全国でも指折りの歴史を持つ古い神社!戦艦大和の守護神!
かつて伊勢神宮に次ぐ社格を持っていたとも言われる『大和神社』。「おおやまとじんじゃ」と読みます。全国でも指折りの歴史を持つ神社の参拝レポートです。
筆者紹介
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こちらの記事は【紅葉の京都奈良旅行記】よりシリーズでお届けしております。
『大和神社』の歴史
『大和神社』は日本書紀にも記載のある大変古い歴史を持つ神社です。
御祭神は「倭大国魂大神」とされ、この神は出雲神話で有名な「大国主命」と同神とされています。
もともと「倭大国魂大神」は、宮中で天照大神と共に祀られていました。しかし崇神天皇の時代、その霊威を恐れて宮中から出され、ここ山辺郡の当地に移されました。この時に作られたのが『大和神社』のはじまりとされています。
『大和神社』のある一帯は古代大和(倭)の中心地ともされ、代々の大和国造の本拠地もここ『大和神社』周辺に置かれていたとされています。また、遣唐使の一行は、まずここ『大和神社』へ参詣し、交通の安全を祈ったともいわれています。
その後も朝廷の篤い尊崇を受けていましたが、平城京から平安京への遷都の影響もありやがて衰退。戦国時代には戦乱に巻き込まれ、社殿も全て焼き払われてしまいました。
現在の社殿は、明治時代に官弊大社に列せられた際に新たに造営されたものです。
ここ『大和神社』の神霊は、戦時中にひとつ大きな役割を与えられました。それが、当時世界最大の戦艦であった「戦艦大和」への分霊です。
当時、日本海軍の戦艦には、霊験あらかたな神霊を艦の守護神としてお祀りする習慣があったのです。
戦艦大和へは、ここ『大和神社』の神霊から分祀された艦内にお祀りされていました。そのご縁により…現在は戦艦大和ゆかりの鎮魂碑や資料室なども境内に作られています。
『大和神社』の見どころ
奈良県天理市の南方に鎮座する『大和神社』は、大変長い歴史を持つ由緒ある神社です。鳥居の近くにある駐車場に車をとめて、長い参道を歩きます。
この参道の長さは270m!この長さは、ゆかりのある「戦艦大和」の長さとほぼ同一とされています。この長い参道を抜けると…正面に社殿が見えてきました。
実はここ『大和神社』の建築物は、どれも明治時代以降に作られたものです。かつては、伊勢神宮に次ぐ広大な社領を持っていましたが、平安時代以降に衰退。戦国時代には戦禍に巻き込まれ、建物や歴史資料などほぼ全てを失ってしまっているんです。
現在見られる社殿は、明治4年に再建されたもの。拝殿の裏手には3つの本殿が並んでいます。
- 中殿:日本大国魂大神
- 左殿:八千戈大神
- 右殿:御年大神
主祭神は、中殿の「日本大国魂大神」で、この神様は「大国主神」「大物主神」「大己貴神」とも同一神とされています。
また、ここ『大和神社』の神霊は、旧日本海軍の旗艦「戦艦大和」の内部にも分霊され祀られていました。戦艦大和の艦長室に『大和神社』の絵が飾られていたともいわれています。
その縁で、ここ『大和神社』には戦艦大和轟沈と共に命を落とした2717名や、その随艦の戦死者も末社にて合祀されています。
また、境内の傍らには「戦艦大和展示室」も作られています。こちらは自由に拝観できます。
内部には、戦艦大和ゆかりの品々や寄進された品が展示されています。精密な模型など…見応えありますので、ぜひ中に入ってご見学なさってください。なかなか見応えありますよ!
『大和神社』へのアクセス/駐車場/所要時間
最寄り駅はJR万葉まほろば線の長柄駅で、徒歩7.8分でアクセスできます。ただし本数はあまり多くありませんので、天理駅から出る路線バスも合わせてご検討ください。
お車の場合は、名阪国道の天理東ICより15分、東名阪自動車道天理ICから20分ほどです。境内に参拝者用無料駐車場が設けられています。
決して広い神社ではありませんので、30分ほどあれば充分参拝/見学もできるでしょう。
【紅葉の京都奈良旅行記】2日目。この日は奈良方面のスポットをめぐっています。「大和神社」の参拝を終えたら、次は奈良市内へ戻って庭園を散策しました。次回もお楽しみに!
『大和神社』の基本情報
アクセス
名阪国道 天理東ICより15分
営業時間
24時間自由
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
無料駐車場あり
アドレス
0743-66-0044