NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。
筆者紹介
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第16話 華の影
藤原道隆の身内贔屓の独裁が続く世の中。道隆の子、伊周や隆家も出世し次々と堂上人へ昇進させました。
特に嫡男の伊周は、一足飛びに内大臣へと昇進。関白、右大臣、左大臣に次ぐ、朝廷のナンバー4ともされる高位です。
そんな折り、都には疫病が蔓延します。当時、致死的な病として知られていた感染症・天然痘の流行であると言われています。
天然痘とは?
天然痘は天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つである。疱瘡、痘瘡ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。
ヒトに対して非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生ずる。致死率が平均で約20%から50%と非常に高い。仮に治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残す。1980年、世界保健機関(WHO)により根絶が宣言された。人類史上初にして唯一、根絶に成功した感染症の例である。
奈良時代には、藤原不比等の子である四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が天然痘によって全滅するという大惨事も起こっています。これは、四兄弟によって謀殺された長屋王の祟りとして大変恐れられました。
なお…今作の中心人物である藤原兼家の一族(道長、道隆、兼家、公任、行成)らはこの内の房前・北家の血筋です。
劇中、道隆や伊周は「疫病なぞ庶民が罹るもの、我々には関係ない」と豪語していましたが…数代前の先祖が感染して死んでいるんですけどねぇ?当時は、感染症ではなく祟りによるものと信じられていたからでしょうかね。
悲田院とは?
なお「悲田院」とは、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設です。
日本においては、難波の四天王寺に四箇院(悲田院・敬田院・施薬院・療病院)を作り、庶民の救済に当たったのが始まりとされています。なお、この設立日が9月15日であったことが…現代における「敬老の日」の由来になったとも言われています。(諸説あり)
「光る君へ」の時代には、平安京の東西にひとつずつ置かれていました。現在は、京都泉涌寺の塔中のひとつに「悲田院」があり、これは朝廷が建てた悲田院の後身であるとされています。
悲田院にて庶民たちの看病をしていたまひろ。しかし…そのまひろ本人も疫病に感染したのか倒れてしまいます。
この時、道隆によって助けられたまひろですが…前述したように天然痘は致死率50%にも昇る大病。しかも、病後は全身に痘痕(あばた)が残るともされています。
もしも天然痘にかかっていたのならば…痕が残るために、宮中に入ることも女御として仕えることもないと思うのですが…?