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【鳥取】『米子城跡』はふたつの天守閣かそびえた山陰随一の名城!

米子城跡』は山陰が誇る天空の城!

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鳥取県米子市。市街地からほど近い山の上に壮大な石垣が残る堅牢な城跡があります。かつてふたつの天守閣があったという天空の城!それが『米子城』です。

 

筆者紹介

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こちらの記事は【サンライズ出雲で行く出雲神社巡り旅行記】よりシリーズでお届けしております。

 

 

米子城』の歴史

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米子は、現在の鳥取県西部である旧伯耆国の中心地として栄えた町です。現在も、鳥取島根のちょうど中間に位置する都市として、山陰地方屈指の規模を誇る町になっています。

 

そんな米子は、かつては城下町として栄えた町でした。その町の中心にそびえていたのが『米子城』です。

 

現在でも米子の町のすぐ近くに、山頂付近を石垣で固められた天空の城の痕跡を見ることができます。

 

国指定史跡 米子城

近世城郭としての米子城は、戦国時代末期の天正19年頃、 吉川広家が湊山を中心に築域したのが始まりといわれています。慶長5年の関ヶ原の戦の後、広家は岩国に転封となり、代わりに駿河から入った伯耆18万石の領主中村一忠によって慶長7年年頃完成しました。

 

中海に張り出した標高約90mの湊山頂上の天守を中心とする本丸に、北の内膳丸、東の飯山を出丸として配して、湊山ふもとの二の丸には領主の館を、その下の三の丸には作事場、米蔵、馬小屋などを建て、これらを中海から水を引き込んだ二重の堀で囲みました。

 

さらに中海側の深浦には水軍用の御船手郭を築き、内堀と外堀の間には侍屋敷が並びました。当時の米子城は、五重の天守閣と四重の副天守閣(四重櫓)を持ち、「山陰随一の名城」とも称される壮麗な城であったといわれています。

 

中村氏の後、加藤貞泰、池田由之と城主がかわり、寛永9年からは、鳥取藩主席家老の荒尾成利が米子城預かりとなり、以後11代にわたって荒尾氏が管理しました。

 

明治維新の後に城は払い下げられ、建物は取り壊されましたが、石垣などは現在も往時の姿をよくとどめており、天守跡からは秀峰大山、日本海、市街地、中海などが一望できます。平成18年に、本丸、二の丸などが国史跡に指定されました。

 

この湊山の大半は、昭和8年に市内の素封家家・坂口平兵衛氏から寄離を受けたものです。

 

米子城』の見どころ

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米子城跡』は、鳥取県西部の中心都市・米子市街地の西に位置する中世城跡です。駅前からでもすぐ近くに城跡がある湊山が見えるので、分かりやすいかと思います。


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米子城跡』への登山口はいくつかありますが、最も分かりやすいのが城の西側からのアクセスです。ANAクラウンプラザホテル米子の裏手から入っていくと分かりやすいでしょう。大きな駐車場もここにあります。

 

道なりに進むと…早速石垣で組まれた城門跡が見えてきます。かつてここには、立派な櫓もんがあったことでしょう。


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城門跡から入ると、早速山登りが始まります。足元は整備されており、歩きやすい道にはなっていますが、靴はしっかりとしたもので訪れてください。

 

ここから先は、結構しっかりとした山道です。大きく息を付きながら一歩一歩、登っていきますが…なかなかキツい。しかしここを頑張って登ると、この先には素晴らしい風景が待っています。


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山道を登ること10分。木立が少しずつ途切れたと思ったら…いきなりこの風景!突然現れる壮大な石垣!整然と積まれる石垣に圧倒されますよ。


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さらに石垣の上まで登ってみるとこの景色。正面には山陰の名峰・大山がうっすら見えています。


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山頂部の本丸にまで登ると、眼下に米子市街地を一望できます。おおー!すごい眺め!まさに「天空の城」ですな!


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実はここ『米子城』は、かつてふたつの天守閣が建てられていたという、非常に稀有な城なんです。

 

元々山頂部には、吉川広家が建てた四重天守閣がそびえていした。

 

しかし、吉川広家が岩国へと転封になり、中村一忠が入ると、本来の天守閣とは別に五重の新天守閣を建築します。その後は、江戸時代を通じてここ米子城は、ふたつの天守閣が並び立つ、世にも珍しい城として有名でした。

 

しかも面白いことに、ここ米子城を中心とする伯耆国は、江戸時代半ばから鳥取藩池田家の領地に組み込まれます。その際、鳥取藩主の池田光仲の命によって、筆頭家老の「荒尾成利」に与えれます。

 

本来、国持ち大名格によって領されるべき巨城が、大名ではなく、その家老に与えられるということ事態がかなり異例です。

 

その後は、幕末まで荒尾家が代々米子城主を努め、明治維新を迎えています。

 

かつてここ『米子城』はふたつの天守閣がそびえていた山陰随一の名城でした。現在、城跡内に建築物はほとんど残されていませんが…山頂に残る壮大な石垣はかなりの規模です。

 

米子の市街地からもすぐですので、山陰へお越しの際は、ぜひ一度足を運んでみてください。素晴らしい城跡に感動するはずです。

 

米子城跡』へのアクセス/駐車場

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米子城跡』へは、JR米子駅から徒歩20分ほどです。お急ぎの場合はタクシーご利用ください。

 

お車の場合は、米子自動車道米子ICから15分ほどです。麓には大きな無料の駐車場がありますので、ご利用ください。

 

見学所要時間は、頂上の本丸部分まで行く場合は45分ほどみておくと良いでしょう。登り20分ほどの山登りが必要になります。

 

長らくお付き合いいただいた【サンライズ出雲でいく出雲神社めぐり旅行記】も今回が最終回。このあと、米子空港から羽田空港へと戻りました。次の旅行記シリーズは、11月に行きました京都奈良旅行記をお届けします。お楽しみに!

 

米子城跡』の基本情報

アクセス

JR山陰本線 米子駅より徒歩20分

米子自動車道 米子ICより15分

 

営業時間

24時間自由

 

定休日

年中無休

 

入場料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

鳥取県米子市久米町

0859-23-5436