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【大河ドラマコラム】NHK大河ドラマ「光る君へ」第5話『告白』

NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム

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こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。

 

筆者紹介

こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。

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こちらは毎週日曜日にお届けする【NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム】の記事をお届けしています。

 

 

第5話 告白

源雅信の姫の代役として、五節の舞姫の役目をやり遂げたまひろ。しかし…その現場で、三郎の正体を知ってしまいます。まさか…母の仇である右大臣家の御曹司とは。

 

やがて、三郎こと藤原道長も、まひろの存在に気が付きます。そして…まひろが抱えた悲しみの真相を遂に知ることになりました。

 

兄・道兼がかつて人を殺めたこと

そしてそれがまひろの母親であったこと

 

道長は苦悩したことでしょう。兄・道兼の横暴には、道長自身もかねてから悩まされていたところ。道長とまひろは…ようやく隠されていた真実を共有するに至ったのです。今後はある種の運命共同体として生きていくことになるのでしょうか。

 

さて、歴史の表舞台は花山天皇の治世。

 

前回即位した花山天皇の世は…

花山天皇派 藤原義懐&藤原惟成

・関白 藤原頼忠

・右大臣 藤原兼家

の三つ巴状態が続いていました。

 

しかし、藤原義懐ら成り上がりものたちが権勢を振るい出すに従い、先帝時代からのライバルである関白と右大臣が手を組むことになります。

 

花山天皇派は、関白や右大臣ら古くからの重臣たちの富の根源である、「荘園」の整理に手を付けました。これに、関白や右大臣らは大きく反発したのです。

 

「荘園」はこの時代を読み取るキーワードのひとつ。

 

奈良時代まで、古代日本は「公地公民制」が敷かれていました。

 

公地公民制とは、土地も民も、天皇家(朝廷)が直接支配する政治形態です。建前上は、その土地から取れた作物は全て国のもの。その納められた租税は一旦国庫に入れられ、それを原資として国家経営を行っていました。

 

しかし。

 

より多くの租税を得るためには、里山を開墾し、収入を上げなければなりません。

 

それを奨励するために作られたのが、「三世一身法」や「墾田永年私財法」でした。

 

これは、本来国のもの(公地)のはずの田畑を、荒れ地から開墾した者にはその一族による私有を認めるという革命的な法律でした。

 

しかしこの「土地の私有」は、世の中を変えてしまう諸刃の刃でした。

 

自ら開墾した土地は、開墾した農民たちの私有が認められました。しかし…実はその管理はとても大変。揉め事も多く発生したようです。

 

そして、このような揉め事回避などのために…私有した土地を有力貴族や寺社に管理権を委ねる事例が多くなったのです。

 

これが「荘園」のはじまりです。

 

有力貴族たちは、本来国庫に入るはずの租税を、「荘園」を経由して自らの懐に入れられるようなシステムを作りました。言わば、公的な脱税システムです。

 

花山天皇が手を付けようとしたのは、そんな有力貴族によって横領されていた荘園からの租税です。これは彼ら有力貴族たちの力の源でしたから…関白や右大臣たちが反発したのも頷けます。

 

ちなみに、この荘園の管理者たちは、自らの土地を守るために武装を始めます。これが「武士」の走りと言われています。

 

つまり、荘園という有力貴族たちの脱税システムが生んだ存在こそが「武士」。産みの親である貴族たちの世を終わらせる存在なのは歴史の皮肉ですね。

 

人物紹介「藤原実資(ロバート秋山)」

藤原道長の時代を伝える重要な資料のひとつである「小右記」を記したのが、藤原実資その人です。物語中でも、ロバート秋山という配役もあって、異様な存在感を示していますよね。

 

この人物は、藤原北家・小野宮流の嫡流を受け継いだ人物です。傍流に過ぎなかった九条流藤原道長とほぼ同時代を生き、道長のライバルでもあり、良き理解者としても活躍したと言われています。

 

藤原道長といえば…「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」の句が有名ですが、この句も、実資の小右記に記されたことで現代に伝わっています。

 

彼は、道長の横暴を強く批判する一方で、その能力は高く評価していたようです。また、道長も一族の長老格として頼りにしたと言われています。公正な人物であったとも伝わり、筋の通らない申し出には敢然と拒否したという逸話も伝わっています。

 

最終官位は従一位・右大臣まで昇進していますが、子孫には恵まれませんでした。90歳という、この時代にしては非常な長寿で死去。道長の死を見届け、その子である頼道の時代まで生きたと伝わっています。

 

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