NHK大河ドラマ『光る君へ』コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『光る君へ』コラムをお届けします。
筆者紹介
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第1話 約束の月
ほとんど資料の残っていない、紫式部という人物を描くのは、大変困難…というよりも、かなりの部分を創作しなければならないはず。
むしろ、藤原貴族を主体とした政治劇に、紫式部をどう絡めて描いていくのかな?と予想します。
そもそも「平安時代」とはどんな時代だったのでしょうか?
平安時代のはじまりは、桓武天皇によって794年に平安京が開かれてからのことです。
この平安時代は、天皇や藤原貴族らによって宮廷文化が華開いた時代。源頼朝によって鎌倉武士の時代がはじまる1190年ころまでの約400年ほどを指します。
とはいえ…この長い400年間の間で、政治の実権は一定していません。
平安前期は、桓武天皇やその後継者たちが天皇親政を行っていた時代です。桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇、宇多天皇、醍醐天皇らの時代ですね。
平安時代中期になると、藤原貴族たち全盛期となります。いわゆる摂関政治の時代ですね。この時期、天皇家の外戚となった藤原氏が実権を掌握。形式上は天皇を戴きながらも、荘園制によって藤原氏の力が増大。この荘園制が武士団を生む土壌となります。紫式部らが活躍するのがこの時代になります。
平安時代後期は、そんな藤原貴族たちの影響を排除するために産まれた院政(上皇制)の時代になります。藤原貴族によってがんじがらめとされた天皇に代わって、天皇位を退いた上皇に政治の実権は移り、その結果藤原一族は急速に力を失います。この時期、権力を握った上皇の手足となって武力を司ったのが、源氏や平氏といった武士たちです。彼ら武士たちの中で、平清盛や源頼朝らが出て、平安時代を終わらせることになります。
紫式部の父・藤原為時とは?
紫式部は、平安時代の中期に下級貴族である藤原為時の娘として産まれました。
藤原 為時(ふじわら の ためとき)は、平安時代中期の貴族・歌人・漢詩人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の孫で、刑部大輔・藤原雅正の三男。紫式部の父。官位は正五位下・越後守。娘の紫式部の「式部」は、父である為時が式部丞・六位蔵人に任じられたことに由来している。
下級貴族たちは、官位に任官されることで朝廷から給与を得ることができました。しかし…紫式部の父である藤原為時は、学者肌であったことが災いして、なんと10年間も無位(無職)の時代があったそうです。かなり貧しい生活を強いられたことでしょうね。
それにしても…なかなか衝撃的な初回ストーリーでしたね。まさか、藤原氏の子に母を殺されることになるとは!
権力を握ろうとする右大臣・藤原兼家。彼には3人の息子がいました。
長男は道隆、三男の道兼、そして五男が…藤原氏全盛期を作る道長です。
今作では…
権謀術数に長ける父・兼家
兼家の後継者たる長兄・道隆
乱暴者の次兄・道兼
強いたげられる御曹司・道長
という形で表現されていました。
このうち、次兄の道兼は完全に悪役ですね。道長を虐げるばかりか…まさか紫式部の母親を刺し殺すとは!
ですが、これはさすがに演出が過ぎるでしょう。極度に血の穢れを嫌った平安貴族たち。まさか自らの手で人を刺し殺すとは、さすがに考えにくいです。
母を殺された紫式部と、その犯人から虐げられている藤原道長。そして…保身のために母の死をうやむやにしようとする父。初回から、それぞれの闇を抉るようなストーリー展開になっていますね。
やがて紫式部と呼ばれるようになるまひろと、関白として位人臣を極めることになる藤原道長。これから、彼ら二人が物語の中枢を担っていくことに…なるはずです。