NHK大河ドラマ『どうする家康』第48話コラム
こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。
筆者紹介
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1年間追い続けてきたNHK大河ドラマ『どうする家康』も今回が最終回。このコラムも同じく今回が最終回になります。
どうも世間の評判ではイマイチだったようですが…筆者は1年間、とても楽しく視聴することができました。
もちろん、ところどころ(あれ…?)と思う部分もありましたが、これまで幾度となく描かれてきた徳川家康の伝記。定番の家康像では、誰もが知っているストーリーをカバーしておしまいになってしまいますからね。オリジナリティーという意味では、大変意欲的な作品だったように思えます。
筆者は以前から、徳川家康の天下取りの半分は、優秀な徳川家臣団のおかげだと考えていました。実直で勇武に優れた三河武者たち。彼らが、徳川家康を良く支え尽くしてきたからこその徳川幕府であると思うのです。
創業を家老として支えた重臣
徳川四天王として尽力
政治軍事の中心を担った古参武将たち
特殊技能を持って仕えた官僚たち
など…
今作品には登場しなかった人物も含めて、多くの優秀な配下武将たちに支えられて徳川の天下を実現しました。
ラスト30分の回想シーンには賛否両論あるかと思いますが…案外、徳川家中は、殿様と家臣団の距離感はあれくらい近かったかもしれませんね。
今作品『どうする家康』の主役陣こそが、彼ら家臣団一同だったことでしょう。何せ、エンディング曲が家臣たちが踊る「えびすくい」でしたからね(笑) あ。ちなみに「えびすくい」は信長公記にも登場する徳川家自慢の隠し芸だったようですよ。
また、今作品では、徳川家康を従来の「乱世を終わらせた英雄」として描いて来なかったことも特徴です。
家康をして「やりたくてやったことなどひとつもない」というセリフ。これは言い得て妙だと感じました。
- 家の都合で人質に出された織田時代、今川時代
- 桶狭間の戦いによって三河家臣団に促されて独立
- 織田信長の求めに応じて同盟
- 信長に命じられて今川攻め
- 信長に命じられて対武田防衛戦
- 信長に命じられて瀬名と信康を死罪に
- 本能寺の変が起きたことで伊賀越えのピンチ
- 織田信雄の求めに応じて小牧長久手の戦い参戦
- 豊臣秀吉に命じられて朝日を嫁に
- 秀吉の圧迫によって臣下に
- 秀吉の死によって関ヶ原の戦いへ
- 乱世を終わらせるために豊臣を滅ぼす(大坂の陣)
細かく見ていけば例外も出てきますが、家康の人生は、そのほとんどが受動的なんですよね。「命令されて」「流されて」「いつの間にか」…周囲の命令や期待に応えて行動していたら…いつの間にか天下が転がり込んできた。今作品はそんな描き方をされています。
家康が本当にしたかったことってなんだったんでしょうかね?
晩年の狸親父のイメージで、腹の底でなに考えているか分からない不気味な存在として捉えられることが多い徳川家康。
もしかしたら…彼は天下取りなどは毛頭考えておらず、「自らの家族と家臣たちに安寧な暮らしをさせたい」という願いだけだったかもしれませんね。
そのささやかな願いが、自らの立場が上がっていくに従い、天下万民の安寧を願うようになっていたようにも思えます。
1616年4月17日…大坂の陣が終わったわずか1年後に、徳川家康は駿府城にて死去します。享年75歳。
「わしがやったのは人殺しだけじゃ」
皮肉にも、150年にも及んだ戦国乱世を終わらせたのは、ささやかな安寧を求めただけの白兎。彼が時代に流されて作り出した世の中は、江戸時代240年という平和な世を築くことになるのです。
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